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例えば、不快に思う時。
ふと。
人が不快に思う状況の一つは、その大半が、目の前に現れた世界が「自分の期待と違っていた」時ではないかと考える。
「そんなはずはない」
「間違ってる」
「こうなるはずだった」
どこかに自分勝手に決めていた「絵」があって、それと違う「絵」が目の前に現れると途端に「それは間違ってる」と判断する。
その差異が不快な感情になって押し寄せる。
あるいは「自分の認識が周囲と異なってきた」時。
今までは確かに同じところに立っていたはずなのに、自分が変わったのか、それとも周りが変わったのか、少しずつ違和感を覚えるようになる。
これもどこかに「自分の期待」のようなものがあって、そこからのズレを感じることで不快な感情が湧き上がる。
わざわざ「自分」を境界線にして、自分本位の「基準」のようなものを無意識に打ち立てて外の世界を見た時に、こうした「不快」を感じるような気がする。
しかも、そうなるのは往々にして自分が動いていない時だ。
好きなことをして能動的に行動していたら、そんな風に感じる暇など生まれなかったろう。
もし不快に思っている自分に気が付いたら、
・受動的になってないか?
・立ち止まってないか?
・好きなことを出来ているか?
確認してみるといいかもしれない。
そして、実際に身体を動かしてみる。
ストレッチでもいいし、走るでもいいし、散歩するでもいいし、掃除するでもいいし、料理するでもいい。
そうすることで、「不快」の奥にある「期待」や「思い込み」がクリアになって、自分の望む次の一歩が踏み出せる気がする。