【ただの日記】セミ爆弾って虫嫌いの心臓止めにきてるよね。
アブラゼミ 見つけて撃とう 水鉄砲
10数年前。
僕はセミより強かった。
木に止まっているセミを見つけて、水鉄砲を噴射する。セミは「ジジジジジ!」と言って一目散に逃げていく。なぜかそれが楽しくて、よく水鉄砲を打って遊んでいた。
僕はセミより強かった。
毎年、夏になると虫取り網を肩にかけ、空っぽの虫カゴを胸元にブル下げて、友達とどっちが多く取れるか競ったものだ。
夕方になるころには、虫かごはセミでパンパンになっていた。競いはするものの、数えるのがダルいため、友達の言い分も聞かずに「俺の勝ちでしょ?」と一方的な自己満足をして、虫かごからセミを出して、毎回勝負は決着する。
あの時、毎回「はいはい。」と勝ちを譲ってくれた大人な友人たちには厚く御礼を申し上げます。
そう。
あの時は、まだ、蝉より僕の方が強かった。
明らかに強かった。
セミを飼いたいとまで言っていたのだから。
でもいつからだろう。
セミは変わってしまった。
成長した僕は今、死んでるセミを道路で見つけると、なるべく近寄らないように、静かに、肩を窄めて、「お願いしますそのまま静かにしていてください。」と願いながら、他人を装うように通り抜けるようにならざるを得ない。
たまに死んだセミはゾンビの如く生き返り、「ジジジジジ!!!」っと襲いかかってくることがあるのである。これを通称セミ爆弾という。
夏場最恐最悪の爆弾である。
今年も何回かセミ爆弾の被害にあった。
ある時は道路の路上に爆弾が設置されていた。
僕はそれに気づかず近づいてしまい、突然「ジジジジジ!」とセミが飛び、僕も飛ぶ。そのびっくりっぷりを人に見られた時の恥ずかしさは半端ない。ほんまにやめてくれ。
また、ある時は、家のドアの前に爆弾が設置されていることがあった。玄関のドアの前のセミを見つけて、もう爆弾の点滅信号がピコピコ光っているようにしか見えない。僕は腰を低くして、足をドスドスと踏みながら近いていった。相手との距離が1メートルになると、大体セミも逃げるのだが、そのセミは30センチくらい近づいても、びくともしなかった。
僕はそこで気がついた。「あ、このセミはもう寿命を終えて亡くなったのか」と。
七日間しか無い儚い命。「ジーー」とか「ミンミン」とか余生を永遠と泣き続けて、子孫を残し、すぐに滅せられる。このような生を僕も少しは哀に思う。
僕の足の三十センチ先の通路のど真ん中で仰向けになっているセミを僕は心から偲びながら足を進める。
しかし、僕の足がセミを越えようとした瞬間。
「ジジジジジジジジ!!!」とそのセミが大暴れした。こうゆうフェイントゼミが時々いるのである。ほんまにやめて欲しい。
こうゆう時往々にしてもうセミは信じないと決める。
足が開いているかどうかで死んでるか判断すればいいんだよ。と誰かが言っていたが、実際問題そんな上手くはいかないことが多い。そもそも、セミの裏側なんかを凝視したくないのだ。
最近、爆弾に被弾しすぎているため、もう水鉄砲常備したいなとすら思う。
最後にここで一句。
アブラゼミ 鳴いてるだけなら いいのにな
お後が宜しいようで。