強さと弱さが混じり合えないまま自分の中で同居するとき
人間として、そして動物として、なめらかに生きられたらいいのにな、と思う時があります。なめらかに、ということの説明が難しいので、なめらかでは無い自分を以下に書いてみたいです。
①(例えば文章力や対話力、行動力等の)人にも誇れそうな能力が複数備わ
っている。
②調子が良い時は大概のことをスムーズにこなすことができる。
③しかし些細なこと、自分でもよく分からないきっかけで不安になったり、
調子が悪くなったりする。
④そうなるとあらゆるパフォーマンスが2~3割減になる。
⑤しばらく経つと「このまま苦しむだけなのもなあ」と胸の底から強い自分
が出て来て気持ちもすっきりし、しばらくはパフォーマンスが良くなる。(そしてまた調子が悪くなったり良くなったりを繰り返す)
①~⑤まで書いてみて気付いたのは、強さと弱さの不自然な同居です。シンプルに考えたら①②⑤が強さに、③④が弱さに属するでしょうが、⑤に登場する強い自分はできたら、③が出てくる直前ぐらいに出て来て欲しいものです。
「調子が良いつもりが疲れて来ている。ネガティブが来る前に思い切って休んでしまった方がいい」
そういったしなやかさもまた強さの一つであり、誰もが持つ強さと弱さ、そして元気さと疲労の間に橋を架け、極端な疲れや心身のトラブルを避けるなめらかをもたらすのでは無いでしょうか。
元気な時は走り、少し疲れが来たらペースを落とし、しばらくしたら歩いたり座ったりして休む。自分の状態を深く知り、ペースを合わせていく。ゆるやかな坂を上り下りするようなイメージで生きたいものです。
とは言っても、気分が転げ落ちるような上の③④状態になった後、⑤で復活していく自分が好きなのも否定はできません。その過程は苦しいもののはずなのに。
強さと弱さが分離したまま同居しているが故に、お互いに架ける橋も無く、感情の起伏のままに行ったり来たりする状態というのは、有能だったが暴君でもあった独裁者のそれに近いのかもしれません。
スターリン -横手慎二 著|新書|中央公論新社 (chuko.co.jp)
スターリンについて調べていくと「産業基盤が貧弱だったソ連を工業化して短期間で一大強国にし、ナチスドイツの侵略を打ち破った面」と「無茶な政策で数え切れない犠牲や受難をもたらし、持続が難しい国家システムを遺した面」という相反する彼の「遺産」が浮かび上がってきます。
彼自身のパーソナリティや能力にしても「豊富な読書量があり、状況や他者を読む能力に長け、大胆な行動力と繊細な慎重さ両方を兼ね備えていた面」と「親しいはずの人を含めてあらゆる人を疑い、多大な犠牲を出し、不安に支配されて誤った判断をしてしまった面」両方が見られます。
特にスパイゾルゲの報告を軽視したせいで、ナチスドイツの奇襲に十分な用意ができていなかった時、ショックを受け一定期間引きこもってしまいます。
しかしその後は強さを取り戻し判断力や状況を読む力を駆使し、自らが指揮し作り上げたソ連の生産力にも助けられ勝利します。
この戦争に最後は勝利した強さこそが、上の⑤に似た、弱ったタイミングでそれを突き破るように出てくる強さに似ている気がしてしまうのです。
スターリンの死後数十年の間も、ソ連は発展したり停滞したり混乱したり紆余曲折でしたが、結局米国など西側が「勝利」することとなります。しかし現在発展と引き換えに環境は破壊され、貧富の差が広がり、国によっては長時間労働による心身破壊が進み、更に西側が誇った発展すら怪しくなってきています。
この世界そのものが「単一の独裁者無き独裁国家」のようになり、強さと弱さが分断し合ったまま相互依存している歪な構造の中、個々人の心身が矛盾に裂かれるのは当然のことでしょう。
そんな中でもなめらかに生きるためのセルフケア方法や大切な人との対話方法、良い関係性の作り方、そして情報を得る方法や社会参加の方法等、様々な方々が様々に語られていると思います。
私だったら夜の公園(もう寒くて難しくなりましたが)に行き、電灯の光に僅かに揺られる木々の下で、遠くのマンションや工場の光を眺めながら、あれこれ長い視点で考えます。せわしない世界を外から覗くように、煽るだけのニュースからも距離を置き……
ニュースもSNSも大半は、無数の人間の塊に内包するネガティブさと共鳴するものです。上の③④の集団バージョンでしょう。
そういう時は私自身、次に来るだろう⑤の手がかりを探し続けたいと思います。