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情報を感情に受けるのではなく、知識で受けてみる。そしてそれができる心身を維持する。

 コロナで誰もがストレスを貯めている。そして「批判」そのものを恐れ、見ないようにしている人も多い。「批判」を叩くという状況。

 「批判」というのも色々ある。現場で働く人を叩く。差別する。感染した人を叩く。政治家を叩く。批判する。対案を出す。自粛しようとしない人/できない人を叩く。批判する。そもそも「叩く」と「批判する」は違うのだろう。とりあえず多岐に渡るし、内容も質も様々だ。

 しかし「感染した人を批判したり政治家を批判したり頑張ってる人を批判したり何でもかんでも叩くな! 冷静になろう。ストレスを抱えないようにしよう。感謝の気持ちを持とう」という意見は多い。

 色々な「批判」を吟味せずに一律に吊るし上げてしまっているし、追い込まれた人の「感情」を忌避し、自分が「冷静」な感情の状態になろうとしていて、結局感情論になってしまっている。

 多分、現実を現実として見てみようとすることが非常に難しい状況になっている。知らぬ間に「知識を得ようとする意欲不足」に付け込まれ、短期的に自分の感情が気持ちよくなれる立場へと向かってしまっている。それのみのために、他の全てを捨てたとしても。

 何でもかんでも感情的に叩く人はたしかにいる。しかし「批判」全てをクレーマー扱いすれば、それ自体何でもかんでも叩く人と変わらない行為だ。

 ネットやメディアを介して氾濫する情報が濾過されずに感情に流れ込み、常にチクチク刺激されている状態になっている。どうしたらいいのだろうか?

「自分なりに知識の板を作り、一旦そこで情報を受ける」のがいいのではないか。では「知識の板」はどうしたら作れるのだろうか?

①長めの記事、長期的にどうなっていくかを予想した記事、少し専門的な記事等、すぐに読んで脊髄反射する内容ではないものに触れる。

②コロナに関係無くていいので、経済や社会問題についての記事を読んでみる。(本や新聞を読めれば一番いい。結局間接的にコロナに関わってくる訳だけど)文学や哲学書もいいんだろうなあ。

③スマホや画面を見ない時間を決め、散歩したり音楽に合わせ踊ったりしてみる。(もちろん「知識の板」作りは感情を排除したい訳でもないしそれは不可能なので、長期的に知識を得られる健康な心身にしていく必要がある)

 とりあえず私が浮かぶのはこれくらい。

 昨日~今日は最近にしては珍しく寝不足になってしまった。

 

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