キューバ旅行記(3)~知らない人に付いていかないように、とフィデルにからかわれたのだ~
目が覚める。まあまあ寝れた。と言っても五時間ちょっとか。着替えて、勝手にエレベーターを使えないから階段をせっせと登り、屋上のレストランへ。
陽光を浴びるハバナ旧市街が美しい。中世風建築が目立つが、よく見ると数十年前に建てられたような建物も見える。しかしどこか古びて汚れているようで、中世に溶け込んでいる感じすらある。海を少し隔てたところにある、要塞やゲバラ邸がある島も美しい。
朝食は普通においしかったが、個々の料理はあまり印象に残っておらず、強いて言えばスイカのジュースのような赤い飲み物がさっぱりして、朝の喉も潤った。
朝食を食べ終え部屋へ戻る。少しゆっくりして八時前になり、リュックに必要物を詰める。お金や水、通信手段としては使わないことにした写真撮り専門の携帯(WiFi事情も良くないので)等も大事だが、意外に重要なのがトイレットペーパー。
ハバナは基本的に公衆トイレが無く、ホテル等のトイレを借りるのだが、トイレットペーパーが付いてないところも多いのだ。荷物を詰め終わり、『地球の歩き方』で行く場所の目星を付け、ホテルを出た。
ホテル前のオビスポ通りは早い時間なのに、それなりに人が歩いていた。カメラをぶら下げていればすぐに分かるが、意外に観光客と地元民の見分けが容易ではない。見分ける必要も無いけれど。
通りに設置されているモニターはサムスン製。ヒュンダイの車やクレーン等、旅行を通し韓国製品は何度も目にすることになる。
とりあえず海へと向かう。ホテル傍の公園の日影に座る、警官の女性に手を振ったら、笑顔で振り返してくれた。ハバナの特に旧市街では至るところに警察の姿が目立ったが、ガイドさん曰く、銀行の警備を除き、警察は銃を携帯していないとのこと。
細い通りを抜け、海岸の道路に出る。車が来ないのを確認して車道を横切る。海が更に近くなり、巨大な船や(豪華客船か)朝食の時も見た細長い島が見える。石の要塞と緑の島。海岸沿いの道は歩道も広々としている。すぐ前を二人の日本人旅行者が歩いていたが、追い越し、太陽が徐々に登る中、海岸沿いに歩き続けた。
途中ランニングしている人とすれ違う。ガイドさん曰くキューバ人は脂っこいものが好きだが、その分運動もするとのこと。若い世代を中心にジムが人気だとか。
歩道が曲がり角に差し掛かるにつれ少しずつ拡張して、広場みたいになる。錆び付いた騎士のようなオブジェが何体か座っている。一瞬開催中の芸術祭のための展示かと思ったが、いくら何でも古い。たくさんの人を乗せた、汚れた黄色いバスが、ぐるりと曲がって人が貯まったバス停で止まった。ガイドさんはバスの時間が正確じゃないから、授業とか遅れられない用事の時は一時間(!)くらい余裕を見ると言っていた。
広場では犬を散歩させている人もいる。広場を抜け、海岸沿いを更に歩く。
街としては大きな洋風建築も目立つが、ハバナ五百周年だからか、工事中の建物も目立つ。やがて別な広場に着いた。椅子に座る警備員のおじいさんの近くには、紙を丸めたようなデザインの直径約四メートルの丸いオブジェがあり、デザインと落書きの境界ギリギリの模様や文字や絵があちこちに書かれていた。
大砲の跡を歩くと、椅子が何列にも渡っていくつも並べられたオブジェもあり、真ん中辺りの椅子で女性が寛いでいた。そしてそこから更に歩くと、いくつものCDが吊り下げられたオブジェがあった。目の前まで歩く。無数の文字が書き込まれた円盤が風に揺れ、静かに音を立てている。シャラシャラ……しかしハバナでは、静寂は長くは続かない。
「ハポン!」
遠くから呼びかける声。おじいちゃんがこっちに歩いてくる。陽に焼けている。「シィ!ソイハポネス!」とこちらも答え、名前を名乗り挨拶する。喋り続けるおじいちゃん。質問され何度か聞き返すが相手がスペイン語で分かる訳もなく、相手もその内あきらめ去っていった。
おじいちゃんの行く先を目で追うと、他の観光客に話しかけ、一緒に写真を撮ったりした後、そのまま車道を横断し、旧市街へと消えて行った。
海岸線の道路に沿ってずらりと並ぶ「古びた」建物の列。強烈な印象を覚える。ガイドブック等の写真で見たものと同じ。これぞマレコン通り。
私はとにかく歩いた。そしてまた、オブジェに遭遇した。
鮮やかな水色の、透き通った壁のようなオブジェで、鏡も入っているのか、旧市街側に回り込んで壁を見ると、壁の向こう側に見える海に、反射した旧市街の建物群が映り込む。逆に海側に回り込めば、旧市街に反射した海が揺れているのが見える。海底の光差す都市みたいで、個性的なアイディアのオブジェだと思った。
車が来てないか左右確認して、さっきのおじいちゃんみたいに車道を超えた。旧市街の迷路(?)へと入り込む。人々の生活空間。鼻をつく臭気、野良犬、大きな車道とは変わり荒れた地面、その地面のゴミを集める人、それらを大胆にもダンボールですくって持って行く人。荷車を引く人。少々自分の国とは違う生活があるだけなのに、剥き出しの何かに圧倒される。
いつ建てられたか分からない、何となく中世の雰囲気がする建物が続き、上の方では洗濯物が干され、扉を開けてぼんやり通りを見下ろしている人もいる。建物の出入り口の鉄格子のドアを掴み、用も無さげに立っている人もいる。もともと上流階級や資産家が建てた建物かもしれないが、年季の入り具合と生活がリッチさを完全に圧倒し、覆い尽くしている。
太い女性の声が響く。誰かを呼んでいるみたいだ。振り向くと割腹のいい女性が歩いている。もしかして自分が呼ばれたかと思うが、分からない。とにかく歩く。まだ九時前なのに、暑い。
やがて交差点に着き、両側を車道に囲まれた、広々とした新しそうな歩道に出た。さっきとは打って変わった雰囲気。左側には高級ホテルも立ち、この通り自体観光客が多く歩いていそうだ。
「ハポン?」
親切気だがどこかチャラそうな雰囲気の青年が話しかけてくる。
「オラ。スィ。ソイハポネス」
「オーケーオーケー。今日ハマキフェスティバルがある。どうだ。ハマキは好きか?」
カタコトの英語の相手。親切気に話しかけてくるキューバ人に注意してください。仲間の店に連れていかれ、高額請求をされることがあります。ガイドさんから渡された資料にも、『地球の歩き方』にもしっかり載ってた注意。
しかし何気なく、これが流れとばかりに、私は付いていってしまった。
再びさっきのような、生活臭のする通りに入る。黒人の青年とすれ違い、私に笑顔で挨拶した後、真顔で私を連れてきた青年と話し合う、私に「彼に着いていけば大丈夫」、と言い去っていく。このまま着いていけばよろしくない目に合うのは頭では分かってる。頭の回転に五感が追いつき、「私はタバコは吸わないんだ。友達も家族も誰も吸わない」と言う。
「大丈夫だ。着いてきてくれ。何が欲しいんだ。何が好きなんだ。心配いらない」
「グランマ号を見に行きたい」
本当に最初に見に行きたかったところを言う。しかし彼は革命の記念などどうでもいいという感じで一瞬ため息を付き、こう言った。
「チコス? チコスは好きか」
第二外国語を習った記憶が薄っすら蘇り、相手の言いたいことが分かりかける。
「ガール。グッドキューバンガールの元に連れて行ってあげる」
ここで踏ん切りが付いた。ノーノーチコスと言い、手を振りながら、「心配いらない!大丈夫だ!」と呼び止める相手の元から去った。
ひび割れた壁に、フィデル・カストロ(キューバの元指導者。1959年の革命成功より長い間キューバを導いた。2016年没)の絵が描かれている。そしてフィデルの両目には赤赤とした血が貯まっていた。「独裁」へのささやかな抵抗だろうか。
もしかしたらフィデルを書いた人の動機自体は真剣で、後で血が書き足されたのかもしれないが、一気に胡散臭い感じになり、「ニセフィデル」に化けてしまっていた。
「どうだ。ビビったか。ようこそ、キューバへ」
ニセフィデルに言われた気がした。(つづく)