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「幻想マーケティング」としてのL'Arc-en-Ciel~2024年4月7日さいたまスーパーアリーナLive~

激しくて静かで、ドロドロしてて透き通ってて、大胆で繊細で……いくつもの相反する要素を持つが故に「言葉では何とでも表現できるが、だからこそ、逆にどう表現しても捉えきれないバンド」L’Arc-en-Ciel。

2024年4月7日(日)のさいたまスーパーアリーナ公演(「ARENA TOUR UNDERGROUD」)は、複数回ラルクのライブを観ている私にとっても(今までのライブも素晴らしいのを大前提としても)最高クオリティでした。(以下演出や曲順等、一部「ネタバレ」あり)

晴れて少し暑い混雑する会場は、年齢性別等問わず本当に色々な人がいて、服装や髪型もまちまちでした。(海外からのファンも目立っていました)

ツアートラック

会場の中央に備え付けられた巨大な円形ステージ。その上からワイヤーで吊り下げられた照明器具やモニター等が付いた巨大設備。それは怪しげな光を放ち、雨音とアンビエント音が流れ続けていました。(呼吸が深くなる良い環境音でした)

雨音が強調され徐々にライティングが変わり、メンバー4人が映るドラマティックな映像の後、突如としてライブは始まりました。


(1)前半の暗さ

一曲目は2007年のアルバム『kiss』の「THE BLACK ROSE」でしたが、インディーズ期のような暗さと激しさで、メンバーを覆う幕も降りず演奏されました。さながら激しい雨を避けるための地下室のようでした。

その後も『AWAKE』『DUNE』『REAL』等のアルバムから静かで暗め、時に狂気じみた世界観の曲が披露され続けました。歌、演奏のクオリティに照明や映像等の演出が被さり、息が詰まるような緊迫感でした。それはあらゆる事が制約され、多くの人が苦しみ彷徨ったコロナ禍を表現したのかもしれません。

(2)後半の明るさ

後半は太陽の光が差し込むような雰囲気で「約3年のコロナ禍の後声を思い切り出せるようになった」解放感を表現したのかもしれません。(ウイルスは消えた訳では無いのですが)

新旧問わず爽やかだったりアップテンポな曲も目立ちます。また所々有名曲も披露され(本ツアーはマイナー曲中心で演奏するというテーマだった)、マイナー曲との調和の良さを感じました。

(3)演奏と歌の凄さ

本ライブは音響バランスが本当に良かったです。
タム回し等でフレーズが踊りながらもタイトで正確なyukihiroのドラムも。ドッシリ屋台骨を支えながらも低音から高音まで自在にうねるtetsuyaのベースも。
哀愁漂うスローフレーズからキーボード風の音、速弾きからアドリブで、雰囲気作りを担っているkenのギター(雰囲気作りと言えばサポートキーボードも良い仕事をしています)も。
そして抜群の歌唱力を持ち、声の表情で歌の世界観を作り上げるhydeのボーカルも。
最強の演奏を満遍なく楽しむことができました。

hydeの声は響きが良く、地を這うような低音域から羽ばたくような中、高音域まで、本当に魅力的でした。途中で少し調子悪いかな、という時があってもテクニックや表現力でカバーし、曲間の小休止の後にはすっかり調子が戻っているというプロフェッショナルぶりでした。

また、メンバーそれぞれがハイレベルな演奏をこなしながらステージの端から端まで動き回り、ファンと絡み、メンバー同士も絡みながら、空間そのものを圧倒するパフォーマンスも見事でした。メンバーの動きの一つ一つに地鳴りのような歓声が聞こえ印象的でした。(長いコロナ禍からの解放感もあったのかもしれません)

(4)演出の凄さ

それぞれの曲が持つ背景、曲ができた時代の雰囲気、ファンの曲への思い等、一曲一曲に交差している諸要素の最大公約数を引き出し、演出に繋げて行く……曲ごとの演出や照明、映像は、それほど見事なものでした。

ただ華美に照明や映像を使うのでは無く、抑えるところは抑え余白を残しつつ、レトロな映像や古めかしい映像も敢えて使う。盛り上がる曲では火花や風船を使い、派手な映像を用いる等「俗っぽさ」からも逃げない。「ズレた演出が少しも無い」と思いました。

また途中複数回の小休止を取り無理無くライブ参加できるようにして(メンバー側の演奏コンディションを保つ工夫でもあったのかもしれません)しかし小休止中にも小ネタ的な映像や観客参加型のクイズゲームを提供する等、ライブ自体を一流アミューズメント空間にするための工夫に余念がありませんでした。(クイズゲームを通して自然と多くの海外ファンがフィーチャーされたのも国際性が感じられてよかったです)

後AIと会話する(!)MCやMCが日本語と英語に変換されモニターに出る世界初の試みも新しく良かったです。

電光掲示板の前では多くの人が記念撮影をしていました

(5)ビジネスとして洗練されたライブ

デビュー時もしくはデビュー前からのファン、それなりに長いファン、最近はまったファン、ラルクに限らずライブ好きのお客さん、友人や家族に誘われ来たお客さん……ライブに来た人々とバンドとの繋がりは様々ですが、その全てのお客さんを満足させる絶妙なマーケティング感覚がありました。

バンド自身を徹底的に商品として見て、あらゆる人の購買意欲の更に奥底の感情(承認欲求だったり孤独感だったりニッチな探求心だったり宗教心だったり)を呼び覚ますメンバー(特にtetsuyaだと思います)やスタッフの手腕は見事でした。

MCにしても、和ませつつ、その場のファンとのやり取りやアドリブを交えつつ、しかし決してダレないというファシリテーション技術の高さには驚くばかりでした。(MC中、可能な限り活動をしたそうなtetsuyaと、無理をしないで活動をしたそうなhydeの駆け引きが垣間見えたようで興味深かったです)

(6)ラルク独自の立ち位置とはどこなのか

2022年東京ドーム公演に行った際にも感じたのですが、ジャンルレスな総合芸術として、全方位何でもできてしまうバンドであるが故に、ラルクの魅力を言葉にしようとすると「凄い」という意味の言葉を、様々な表現で使い続ける事になり、文章として凡庸になってしまうのではないか、という不安がありました。何でもできるが故に個性を見出すのが難しい。

しかし強烈な個性を持つバンドであることは間違い無く、敢えてバンドとしての最大の特徴を述べるなら「透明感」では無いかと思いました。

今回のライブだと「a silent letter」「砂時計」といった夜の暗さにどこか透き通ったような雰囲気の曲があり、対照的に「Voice」「Blame」といった曲は明るい空に、しかしどこか儚いガラスような雰囲気を持っていると思います。そしてhydeの詞は遠く知らない街での物語のようで浮遊感があり、代わりに生活感がありません。

ラルクに多大な影響を与えたバンドDEAD ENDと比較してみた場合(ラルクにもキッチリとドロドロした曲や世界観もありますが)ドロドロ感はDEAD ENDの方があり、逆に(DEAD ENDにも『ZERO』の曲を中心に透明感、浮遊感のある曲もありますが)透明感はラルクの方があると思います。

そして透明感を大きな武器にできたからこそ、途中でドラムがsakuraからyukihiroに変わっても音楽的な混乱は無く、透明感で統一することで、振り幅のある多様な表現やライブ演出も可能になり、(世界に広まるのに一役買っただろう)アニメ等とのタイアップも可能になったと思うのです。

そしてほぼ同時期にデビューし影響元にも共通性のあるLUNA SEAのようなバンドとともに、透明感で共通性を持ちながらも競合し、大胆に言うなら誰もが真似したくなるようなフォーマットを作ることで日本の音楽界を完全に変え、間接的にはアニメや少女漫画の世界観にも影響を与えたのかもしれません。

それは日常性、トレンディ、恋、気合、根性、夢といったものが音楽含めたあらゆる日本のカルチャーの表テーマであったのに対し、透明感、非日常性、幻想、光と闇、孤独という日本の裏テーマの流れに多大な貢献をし、いつしか裏テーマの方が表になり、世界的な影響力を持つようになりました。

しかしここまで書いてみて不思議なことに気付きます。透明感や浮遊感がラルクのあらゆる表現の種類に繋がり、LUNA SEAなどの他バンドとも共通性を持ち、音楽やあらゆるカルチャーが参考にできる型を作ったのだとしたら、それは最大の特徴では無いのではないか。結局何とでも言えてしまい、言葉が凡庸化するのではないか。(透明だからまさに虹でも何でも描けてしまう)

そうなると、前述したマーケティング力こそが本質で、それがテレビやドラマ等オールドメディアとのタイアップに終わらず、アニメとのタイアップや国内外問わずあらゆるファンに届く方法で練り続けられ、作品自体もマーケティングの核として駆動し続け、オールドメディアの外に幅広い音楽文化を生み出すのに貢献したことが一番大きいのかもしれません。

ただし、ラルクの場合は購買層の欲望水準をあまりに高く設定しており、それが常に100%報われる訳ではない、というのはありそうです。

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