キューバ旅行記(7)~タクシーは行先自体も、行き方も分からないのに、客を乗せ走り出した~
マレコン通り。夕方の海。このまま海が見える道を歩き続ければ、あのおじいちゃんにガイドされて行った道を、反対からなぞることになるだろう。しかし私は街の迷路の中に入り、歩き続けた。
「日本食堂」で一杯やるために。
アパートの三階に母と小さな子がいる。手を振ると母が笑顔で振り返してくれる。
やがて、「ハマキの兄ちゃん」がいた通りに着いた。今日の朝ここを歩いた時より、ハバナに身体がなじんでいた。街の中心へと歩いていく。
暗くなっていく旧市街。薄い茶色の、二階建ての長い建物が夕日に染まる。よく見ると二階のベランダにタオルがかかっていたり、一般市民らしき人が寛いでいるのが見える。ハバナではどんな建物でも家になっている。
ガイドブックの地図を追いながら、国立美術館(ユニバーサルアート館)の立派な建物の周りをグルグルする。「日本食堂」は近いはずなのに、どの通りに入ればいいか分からず苦労した。
何度かガイドブックを見ながら彷徨い「日本食堂」に到着した。細長いスペース、日本人店主はおらず、入り口付近の席で従業員が寛いでいる。勢い良く回る扇風機。客は日本人が多く、壁には格言とも珍言(?)とも言える日本語が書かれていた。
「ここはメイド喫茶じゃないで」
「外国人が思う日本ってこういう雰囲気なんだろ」というのを敢えて狙った内装だと思う。
乾ききった喉にまずはビール。そしてラーメンを食べる。後ろの席にいた日本人集団に「ラーメンどうですか?」と聞かれる。
「おいしいです」
しかしあくまでハバナの味だ。日本のラーメンはもっとキュッと締まった味な気がする。しかしハバナの人にはこれが舌に合うのかもしれない。ビールだけでは喉は潤わず、コーラも追加。喉に染みる炭酸。本当に体力を余すところ無く使った日であった。ほぼ一日中歩いていた。
会計の時にお釣りで古びたお札を渡される。これは人民ペソじゃないか。疲れていて何も言う気力が起こらず、後で後悔してもう一度確かめたらクックだった。
「お釣りは人民ペソじゃなくてクックで出してくれよ!」なんて勘違いをしなくてよかったと思った。
失礼ながら、旧市街の中の、市民の生活圏の雰囲気や、おじいちゃんのくれた人民ペソ等から、古びたお札=人民ペソという偏見が頭の中でできていたみたいだ。
そして店からの去り際に「夜はこれからですよ!」と後ろの席の日本人観光客に言われたが、フラフラでもう無理だな、と思った。
二十一時過ぎ。さすがに暗い。旧市街の細い道を真っすぐ歩く。このまま歩けばホテルの近くまで行けるだろう。格子みたいなドアの向こうで、暑いのか半裸でテレビを見る人たちがいる。明かりはちゃんと付いているが、全体的に暗い。やはり、ハノイや北京の路地裏と重ねてしまう。上手く言えないが、暗闇が「濃い」のだ。
暗いこともあって、似たような景色の中を何度か通り、木々が見えたら「あの」公園かな、と思い、近づくと「あの」公園ではなかった、ということを繰り返した。トイレにも行きたくなり、次第に心細くなってくる。そして想定外に、海岸沿いに着いてしまった。
ライトアップされて浮かび上がる石の要塞がきれいだが、この時は知っている場所か知らない場所か以外関心が無かった。ここは知らない場所だ。焦りながらも、「こっちに行けばホテルのあるオビスポ通りに着けそうだ」と目星を付け、道を歩く。
しかし薄暗い、似たような景色の道が続き、しばらく歩いた後、あきらめて海岸へ引き返す。オレンジの光、車の並ぶ車道、寂しく歩道を歩きながら、どこにいけばいいんだと途方に暮れる。
「タクシー?」
声が聞こえた。見ると車の列の中にタクシーが。しかも黄色で国営だ。(何となく信頼できそう)ガイドブックの地図でホテルを指しても場所が分かって貰えなかったが、とりあえず(!)タクシーは出発した。
勢いよく海岸沿いの道を走り、やがて小さな通りに入っていくタクシー。やはり途中で迷ったらしく(そもそも道が分からないところからスタートしたから最初から迷ってた訳だが)全く知らない道で車をピタッと止め、家の格子扉の前で佇む人に道を尋ねている。なんか凄いな。そして再び走り出す。しばらくして、また別な通りで止まる。「待っててくれ」と言い、運転手はタクシーから降り、横の店に入っていった。しばらくしたら戻ってきて、「ここを真っすぐ歩くと行ける」と伝えて来た。
「分かった。値段は?」
「10クックだ」
「グラシアス」
歩いてホテルの方へ向かう。そう、確かに彼は仕事をしたのだ。
ホテルに帰った後、ベッドに倒れ込んだまま寝てしまった。夜中に目が覚め、思い身体の全力を振り絞って起き上がり、シャワーを浴びた。そしてまた寝た。(続く)