キューバ旅行記(4)~ハバナの街角で日韓交流!?~
広場で不愛想な警官にグランマ号の行き方を聞き、指さした方向をヒントに歩いていくと、木々等植物に囲まれた広めのスペースが見えてきた。
複数の警備員が歩いている。そしてスペースの真ん中の巨大なガラスケースの中に、白いヨットが展示されていた。フィデルやゲバラ(政治家にして革命家。フィデルとキューバ革命を成功に導くが1967年ボリビアでの闘争中に殺される)が革命を起こすために、メキシコからキューバへ上陸した時に乗っていた船だ。
木々のせいか、グランマ号展示スペースの周りの道は日影が多い。そして車道を挟んで向かい側に立派な建物がある。
国立美術館、キューバンアート館だ。
今日もっとも行きたいところだが、まだ十時になっておらず入れない。仕方なく何度か車道を横切り、細い通りを散策する。観光客向けレストランがあり、道の半分が外の席になっていたり、十字路にはカラフルな雑貨屋があったりする。
ゲバラの服やバッグ、ハバナ市街に古いアメ車が走るデザインの置きもの。狭いスペースの中に観光地ハバナが溢れている。
しかし一つ別な通りに行けば「観光客向け」では無くなる。地元の人が数人歩いているだけの通り。
チラッと見えた建物の中、人が集まり、誰かが何かを発表している。小さな通りだけど、何台か新しい車が止まっている。ヒュンダイだろうか。
細い通りの中を散策した後、またグランマ号の近くに戻る途中、面白いオブジェを見つけた。様々な形の電灯が繋ぎ合わされてできたオブジェ。
説明を読むと、世界各国の電灯を集めて来たという。アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、中国、コロンビア、キューバ、エクアドル、米国、インド、メキシコ、ポーランド、ロシア、ウクライナ、ベネズエラ、ベトナム。
どういう基準でこれらの国を選んだのかは分からない。しかしキューバ以外の地で同じようなコンセプトのオブジェが作られても、この選択はしなかっただろう。「国際都市」ハバナの街角から見据えられた世界。
後二十分で美術館が開館するので、さっき行った美術館向かいの日影の柵に寄りかかって休む。後ろにはグランマ号のスペースがある。野球帽をかぶった、古そうなシャツを着たおじいちゃんが通りかかる。
「チーノ? ハポン?」
「ソイハポネス!」
日本は経済がベリーストロングだとか何とか、話しかけてくるおじいちゃん。ほとんどスペイン語で固有名詞ぐらいしか聞き取れなかったけど。
「カモン!」
親切気に話しかけてくるキューバ人に注意してください。その通りだ。しかし私は再び付いていってしまった。澄んだ目をしていて、信用できそうだったのだ。
グランマ号のスペースは戦車やミサイルも展示してあり、スペース周りの通りを歩きながら、おじいちゃんが解説していく。グランマ号を指しながら「フィデル・カストロ」「チェ・ゲバラ」と言った言葉が聞こえる。ミサイルの説明では「フルシチョフ」と聞こえた。不思議と固有名詞とほんの一部分かる単語を目の前の景色に繋いで、何とか理解できることもある。
真っすぐ海の方へ歩き、広場や車道を超えて、さっきも通ったマレコン通りを歩く。今回は最初から海側ではなく、旧市街寄りの歩道を歩く。おじいちゃんは元気に歩きながらガイドを続ける。
「どうだ。俺はインテリだろう」
親指を立てて得意げに自分の顔を指すおじいちゃん。ほとんど言葉が分からないから正確なところは分からないが、ガイドとしての腕はなかなかのものだった。
単なる観光地見学以上のものだ。一回目にマレコン通りを通った時にも見た半分以上瓦礫となり積みあがった建物。印象に残りつつも、そうなった経緯が分からないままだったが、おじいちゃんが「ハリケーンの被害だ」と言ってくれて頭の中でストンと整理できた。
マレコン通りから見える旧市街の中の通り。青やピンクや黄色の、カラフルに並ぶ建物と、煤けた灰色の、どこか古びた壁が共存する街並み。一番綺麗に写真が撮れそうなタイミングで「写真撮れ」というジェスチャーをしてくれるおじいちゃん。
通りの人が集まってる小さな建物の前で「これは病院だ」と教えてくれる。確かに言われてみると病院だと分かるが、奥まで続く部屋は薄暗く、よく見えない。この「暗くて奥まで続いているスペース」はハノイや北京の路地裏に雰囲気が似ている気がする。
街角の普通の家のような建物。そこの扉をおじいちゃんが開けると、小さなカフェで、質素な内装の奥に台所があり、おじいちゃんの注文でスイカジュースが出てくる。外からではカフェとは分からない。地元民向けの店なのだろう。焼け付くハバナで乾いた喉を潤す。
別な同じような雰囲気の店では手の平サイズのコップに入った、暖かいお茶を飲んだ。ジャスミン茶のような味がして、暑い中でも、スッと喉を抜けて行く。
どちらも、おじいちゃんが人民ペソでおごってくれた。ゲバラの顔が描かれた古びた紙幣は妙に迫力があった。道中でおじいちゃんが見せてくれた写真付きの証明書(?)も、紙がボロボロな上に黒いペンで達筆に何かが書かれており、何の証明書かは分からなかったが迫力があった。
「暑いな」と言いながらも変わらぬペースで歩き、通じぬスペイン後でガイドをし「ここで写真を撮るんだ」と指示してくるおじいちゃん。かなりの体力だ。
新市街の方まで来たのか、狭いが賑わっている、テラス席や屋台が並ぶ小奇麗な雰囲気の通りに来た。手前の方のテラス席に座り、屋台へ注文に行くおじいちゃん。やがてハバナクラブが出てくる。観光客が多い通りに青空にモヒート。典型的な「映え」風景。
おじいちゃんはアジア人ぽい若い男性二人組に話しかける。「コレアーノ」どうやら韓国人らしい。北か南か、と聞かれ、普通に南と答えている。おじいちゃん、それは気軽に聞いていいのか。
モヒートを飲みながら、カタコトの英語で「南」の青年と話す。簡単な韓国語を使うと相手は喜んでくれるし、向こうが数字等を言う時、日本語を使ってくれるとこちらも嬉しい。
おじいちゃんも会話に参加し、「韓国人は知的な国民か?」と聞き、青年は「いやいや、日本人の方が知的なはずだ」と笑う。好青年な印象の二人組だった。
最後は「さよなら」「カムサムニダ」と相手の言葉で別れる。ハバナで日韓交流。
キューバの外交能力は高く、コロンビア等の内戦の仲介や、共産国にも関わらずバチカンとロシア正教の会談の調整に活躍したりしている。
おじいちゃんの街角外交で、韓国市民と日本市民の草の根外交ができた訳だ。(つづく)