キューバ旅行記(13)~ナイーブな気持ちを吹き飛ばした「水」~
ライブハウスに着いたのは10時半ぐらい。カウンターでお金を払い二階に上がると、そこは予想外の空間だった。
EDMも混じったようなサルサが爆音で流れる暗い空間。前方のステージではカラフルに明かりが点滅し、お客さん同士でペアを組んだりして踊っている。曲が終わると入れ替わり、席に戻る人と席からステージに行く人がぞろぞろと動く。そしてまた曲が始まり、踊る人は踊る、飲む人は飲む。喋る人は喋る。
今夜はバンドライブではなかったのだ。
ほとんど地元の人だろう。後ろの方で座りとりあえずビールを頼む。これで1ミリも疎外を感じない旅行者はいるのだろうか。
どこかでバンドが出てくるんじゃないか。ステージ上にはドラムセットも見えるし……と淡い期待を抱いたが、ただただ光の点滅と大音量のサルサと踊る人の流れが繰り返された。ビールを何杯か飲み、今夜はもうバンドはやらないな、と見切りを付け外へ出た。ただし、若いハバナ市民の夜の楽しみ方を見れたのは良かった。
涼しい夜の通りを歩く。突き当りの高級ホテルを左に曲がる。さっきもすぐ近くを通った、国会議事堂が見える人が絶えない通り。通りに面したホテルのテラスでは宿泊者たちが座って呑んだりしながら、演奏を聞いている。
軽快かつ迫力の演奏に、通りにも人が集まり見入っている。私も足踏みしたり軽く首を振ったりしながら演奏を見る。人々が見ている傍らで犬が死んだように地面に横たわり、眠っている。
地面にそのうち吸い込まれるんじゃないかというくらい張り付き、本当に死んでないか少し心配になる。
演奏が終わる。通りの観客がまばらになる。観客の中に、片足の無い、古びた服を着た車椅子のおじいちゃんがいた。
テラス横の、ホテルの出入り口と通りを繋ぐ道付近に素早く移動して、通りかかる人に手を差し出し、お金を堂々と要求し出す。無視されるのかな、と思いきや、意外とお金をくれる人がいる。一人に要求し終えるとまた素早く動き、別な人に要求する。
元気なおじいちゃんだが、言ってしまえば物乞いである。革命の矛盾について考えた。しかしそれは外野から見て感じただけの感傷であることが、徐々に明らかになる。
パワフルに動きまくり、せっせとお金を「稼ぐ」おじいちゃんの元に若い女性が現れ、身をかがめてお互いハグをする。笑顔でしばらく話した後、女性は去っていった。言葉もロクに解さないしよく分からないけど、何かを知りたくなって、おじいちゃんのところに近づき、話しかけた。
何て声掛けたのか覚えていないけど、1クック渡したら手を合わせて感謝された。とりあえずお互い喋るけど、何を話したかよく覚えてないし、おじいちゃんの言葉もほとんど分からなかった。
(これで会話している感じになっていたのは凄い)
「ノーマフィア」という言葉だけは覚えている。想像だけど、ここはマフィアもいないし安全なところだ、と観光客である私に伝えてくれたのかもしれない。昼に会った大学生も「キューバは銃犯罪も無く治安が非常に良いから、旅行するのにいい」と言ってた。
一旦おじいちゃんから離れ、もう演奏は無いのかと、テラスの中を見ながら待つ。演奏する気配は無く、楽器を片づける演者以外には、演奏する人はいなさそうであった。
再びおじいちゃんの元へ行く。ナイーブな気持ちがまだ残っていて、もう5クックあげてしまった。白い服を着たレストランの人がホテルから出てきて、おじいちゃんに水の入った小さなコップを渡していった。
貧しいおじいちゃんに水をあげる優しい人という「図式」。おじいちゃんは笑顔で飲んだ後、私に水を飲むよう勧めてきた。「いやいや、せっかくおじいちゃんが貰ったんだから飲みなよ」と断るが、「いいから飲んでみろ」と譲らない。仕方なく水を少し飲んだ。
舌と喉に染みわたる、酔いを誘う苦み。水ではなく、テキーラであった。
結局おじいちゃんに勧められるまま、「水」の半分以上は私が飲んだ。
その内若い男性が現れる。おじいちゃんの知り合いらしく、しばらく話した後、私にも話しかけてきて、「ディスコに行こう」と言ってきたが断った。少し残念そうに去っていったが、そのまま付いていったら、飲み過ぎ(飲まされ過ぎ)によりつぶれにつぶれ、帰国できなかっただろう。多分。
夜のハバナには、様々な物語がある。
おじいちゃんは多分、革命国家の体面なんて1ミリも考えていないだろう。誰かれ構わずお金をくれと言い稼ぐことが、生活にはプラスだ。いい光景ではないけれど。
しかし「ノーマフィア」という言葉に「ここは安全でいいところだ」という意味が少しでも含まれているなら、革命と切り離されていないことになる。運転の時に感じた「物理学」を、ここでも感じる。誇りを持ちながら、実も取るのだ。
しかし革命自体が厳しく問われているのも確かだ。送迎してくれた大学の先生。案内してくれて、でもお金もそれなりに要求してきたおじいちゃん。親切なハバナ大学の二人。空き缶を拾っていた人。そして今出会った車椅子のおじいちゃん。それぞれ全くやり方は違うけれど、国が保障する賃金や年金、配給では生活がギリギリで、新たな方法を試したり、模索しているのだ。
「副業」大国。または総人民副業武装化。低賃金と物不足の中、革命の成果でも、街にあるちょっとしたものでも、全てを資源化して、生活のために治安の良い(これも革命がもたらした「見えない資源」か)街を駆け巡る。
経済自由化を採り入れじわじわと格差が広がる中、先生にもおじいちゃんにも若者にも、革命は問われている。
道端で死んだように寝ていた犬がパッと起き上がり、盛んに足を動かして首をかく。しばらくかいた後、またベタッと地面に横たわり、動かなくなった。私はおじいちゃんと別れ、ホテルへと歩いた。岩のような疲れは、どこかに置いてきてしまった。(続く)