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逃げ遅れたサマリア人の話とその後

 きのう、YouTubeで谷本仰先生のお話を聴いたのです。そのなかで、私にとって印象的だった、ひとつの話がありました。
 2006年のある日、谷本先生は車を運転していました。台風が来ていて、そとは暴風雨でした。信号待ちをしていて、谷本先生の車は、前から3台目くらいでした。横断歩道を、かさもささずに、おじさんが、よろよろと渡っていきます。なかほどでおじさんは姿を消しました。やっぱり転んだな、と思ってみていると、信号が青になり、1台目が走り始めました。ところが、1台目の車は、そのおじさんをよけて、先に行ってしまいました。2台目はなんとかしてくれるだろうと思ってみていると、2台目も、そのおじさんをよけて、先に行ってしまいました。3台目は、谷本先生の車です。「お前、やれ!」って言われている気がして、やむを得ず、谷本先生は、車をとめて、おじさんを助けにいきました。そうしたら、くさいし(おじさん、ホームレスなのですね)、暴風雨の中、救急車やパトカーも来て、なんだか谷本先生がその人をひいて、警察を呼んでいるような感じになっているし、またそのおじさんが、ポケットにたくさんのビールの缶を入れていて、それが散らばっていてそれを拾いに行くし、たいへんなことになったそうです。これを谷本先生は「逃げ遅れた」と言っていました。

 「よいサマリア人」のたとえという話が聖書にあります。半殺しの目にあって倒れている人の前を、祭司が通りかかるのですが、通過してしまうのですね。次に、レビ人が通りかかりますが、やはり道の反対側を通って通過します。3人目に、サマリア人が通りかかるのですが、サマリア人はその人を助けたのです。谷本先生は、サマリア人は、逃げ遅れたのだろうと言っていました。聖書にはどこにも「よい」サマリア人とは書いてありません。彼は、「よい」サマリア人ではなく、「逃げ遅れた」サマリア人なのだろうと、そういう話でした。

 この話を分かち合いに、リビングにいる妻子のところに行きました。彼らは、いつだったか、神社に行ったときに、ゴミが落ちていた話をしていました。帰りも落ちていたら、拾ってあげようね、と言っていたということですが、帰りも落ちていました。そこで拾ったのですが、そこへ風が吹いてきて、新たなゴミが、「拾ってください!」と言いながら子どもの手元にやってきたそうです。あれは拾わないわけにはいかなかったと、そういう話でした。

 ひとしきり、いろいろな話をしたあとで、私はリビングを去ろうとしましたが、ふと、流しに、洗っていない食器を見ました。見てしまったのです。見なかったことにはできません。私は、やむを得ず、その食器を洗いました。逃げ遅れたのです。「逃げ遅れる」ってこのことか!とわかる出来事でした。

 ささいな出来事ですが、「逃げ遅れる」ってどういう意味が、身をもって体験した出来事でした。

 以上です。

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