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偶像崇拝とは

 (私の書くことはすべてフィクションですよ。)

 キリスト教の教えで、「神はひとりであり、それ以外のものを拝むのは偶像崇拝と言って避けるべきものである」というものがあります。神は人ではないのになぜ「ひとり」と数えるのかは私にもなぞですが、これに非常に忠実な信者の話を少し書きますね。

 その人は、ある教会で役員をしています。その人の「証し」(自分の信仰について人前で話すこと)の原稿を読んだときのことです。その人の父親もクリスチャンでした。彼は小学生のころから、近所の有名な観音様の前を通るなと言われていたそうです。その父上いわく、そこは異教の神がまつられているところだからですって。それを話す本人も、聞く人たちも、この話を好んで語りまた聞いていたことがわかります。また、その人は、子どもに国旗掲揚を見ることと国歌斉唱をすることを禁じていました。日の丸は太陽神ラーであり、また君が代は天皇を神としているからだそうです。担任の先生は、信教の自由という立場からそれを認めてくれたそうですけれども。しかし私はそれを聞いて、以下のように思いました。

 クリスチャンは、おいなりさんを食べたらダメなの?おいなりさんは「稲荷神社」であって偶像崇拝ではないかと思いますけど。同様にして、きつねうどんを食べるのもダメでしょうね?クリスチャンは、あみだくじをするのもダメなの?あみだくじは「阿弥陀如来」であって偶像崇拝ではないかと思いますけど。明治牛乳を飲んでもダメ?明治天皇だから。昭和シェル石油を入れるのもダメ?昭和天皇だから。高校数学で「じゅず順列」を習うときも授業を拒絶するの?「じゅず」は異教の神を拝む道具ですから。富士登山もしちゃいけないのですね?富士登山って、頂上にある神社に参拝することですから。そもそも、新幹線に乗っていて富士山がよく見えても、それをスマホで撮影することも偶像崇拝ですよね。富士山は「ご神体」ですから。それから、日本人の「きれい好き」も神道から来ていると言われますので、部屋をきれいにすることも偶像崇拝だと思いますけど。

 なんかこれを言っているときりがない気がしますが、実際にこれに悩む日本のクリスチャンは少なくないこともきちんと言っておきますね。お葬式でお焼香をすることに抵抗のあるクリスチャンは少なくなく、また職場で初もうでに行くことになったときにひそかに悩んでいるクリスチャンもいます。担任の先生が「合格祈願」のお守りを配った際、勇気を奮って断ったという人も知っています。修学旅行で、一切の寺社をまわらず、バスで待機する学生さんもいるようです。ですから冗談ではすまない、なかなかシリアスな話題なのです。

 しかし、その役員をしている彼は、そういうこと(いわゆる「身近な偶像崇拝」)を無自覚的にするクリスチャンを「典型的日本人は空気を読む」と言ってさげすんでいました(彼が「日本人」というときは、まず悪い意味でした)。しかし、おそらくさすがの彼も、普通においしくおいなりさんを食べ、じゅず順列も習い、子どもが明治大学に行っても気にしないだろうと思います。それほどまでに伝統的宗教はわれわれのあいだに入ってきており、いちいち避けているとパウロの言う通り「もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう」(新約聖書コリント一5章10節)としか言えません!

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