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よってたつべきところは自分のあたま

 「よってたつべきところは自分のあたま」…こんなことを言うと、「よってたつべきところは神様だろう!」とクリスチャンのみなさまからお叱りを受けそうですが、でも、ほんとうなのです。よってたつべきところは自分のあたま。

 私は、1996年にはじめて教会というところに行きました。自分から教会の門をたたいたわけではなく、偶然に偶然が重なって、教会に行くことになりました。洗礼を受けたのは、4年以上あとの、2000年のクリスマスです。その間、私は、ひたすら自分のあたまで考えていました。この教会はほんとうにまともだろうか?「あやしく」ないか?そうして、石橋をたたいて渡るようにして、4年かけて、ようやく洗礼を受けました。

 そのあとも、ずっと自分のあたまで考えてきました。もちろんいろいろな人から学びながらですが。そしてわかってきたのは、「どんなに偉い先生でも、自分の都合のいいように聖書を読んでいる」ということでした。私はしろうとですから、私が、自分で自分の都合のいいように聖書を読むのは当然です。でも、どんなえらい牧師でも自分に都合のいいように聖書を読んでいますし、さらにいえば、どんな偉い神学者でも、聖書を自分の都合のいいように読んでいます。私は、田川建三さんの愛読者のひとりですが、田川建三さんにしても、自分の都合のよいように聖書を読んでいます!

 というわけで、「よってたつべきところは自分のあたま」です。自分のアタマで考えましょう。「聖書に書いてあることが絶対」とか、「牧師の言うことが絶対」という人は、「思考停止」してますからね!自分のあたまで考えましょう!

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