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フルート独奏の曲
若いころから、たくさんの屈辱を受けています。だんだんわかってきましたが、どれも、多くの人は耐えられないような屈辱です。たったいまも、大きな屈辱のなかにおりますが、これから書く屈辱は、もう25年以上前、大学のオーケストラにいたころの話です。
私はよく、このnoteで、病気になる前は、プロと間違われるくらい、フルートがうまかったと書いています。それはほんとうなのですが、オーケストラにいたころは、そんなにうまくなかった。むしろ、へただった。それで、努力して後にうまくなったのだが、25歳の大病で、すべてを失ってしまったのだった。今回の話は、オーケストラにいたころの話です。
私がへたなのは、私がついている先生がへたなのだろうと思った(余計なお世話だ)先輩が、自分の先生のところへ私を連れて行った。K先生と言う。K先生は、しきりに私の先生の名前を聞いてきた。インターネットなどない時代です。K先生は、「その先生は、ぜんぜん有名でない、たいしたことのない先生なのだろう」と踏んだのでしょう、その先輩と、その先生のレッスンを受け、数時間に及んで、屈辱を受けたのであった。
ことあるごとに、K先生は、私の批判をしてきた。そして、君(私)のついている先生がいかにダメかを強調した。そして、すぐに「いや君の先生を悪く言っているんじゃないけどね」と言った。悪く言っているじゃないか!しかも、その「いや君の先生を悪く言っているんじゃないけどね」というせりふは、その数時間で、何度も繰り返された。いや悪く言っているじゃないか!しかし、私はへただし、私の先生はうまいけど無名だし、もうしようがなかった。なにもかもが批判された。すべてが否定された。そして必ず「いや君の先生を悪く言っているんじゃないけどね」と言うのだ。悪く言っているじゃないか!K先生の門下生は、その先輩も含めて優秀だった。だから優秀な先生なのだろう。ただし性格は最悪である。ようするに、自分のほうが優秀なフルート教師だということを強調して、私にその(自分の尊敬する)先生をやめさせ、自分(K)の弟子にしようとしているのだった。最悪である。そのころその先輩と、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をやっていて、その先輩が1番、私は2番だった。(そのほかに、3番のピッコロを持ち替えていた別の先生についている先輩がいた。)「あしぶえの踊り」という、フルートが3人とも目立つ曲があるのだが、Kは、「オレ1番しか吹いたことないから」といばるくせに、ひとの音を聴いて(くどいですがそのころの私はへたでした)、そんな、ひとと合わせられないようではダメだよ(余計なお世話だ。私は、会話の空気は読めないかもしれないが、なぜか、音楽の空気は読めて、ひとに合わせられるのだ。私がもしピアノを極めていたら、きっと優秀な伴奏ピアニストになっていたのではないかと思う場合がある)、もしひとと合わせられないなら、フルートソロでやるしかないねえ、フルートソロの作品なんて、いくつあるだろう?バッハの無伴奏パルティータと、ドビュッシーのシランクスと、あとなにが挙げられる?え?あとなにがある?とバカにされたのだ。屈辱もはなはだしいが、私は、その時点で、無伴奏フルート(フルート1本だけの音楽)を、いくつも思いついたのだ。たくさんある。しかし、それを言うわけにはいかなかった。なぜなら、無伴奏フルートの曲を挙げれば挙げるほど、「あっそう。きみ一人でやればいいんだね。ずっとひとりぼっちでやっていれば?」という話になるから。だから黙っていたが、黙っていても屈辱を受けるのであり、最低であった。そこで、何十年ぶりになるかしらないが、ここで、あのとき言えなかった、「無伴奏フルートのための曲」を挙げたいと思います。前置きが長いですが、どうしてこういうことをしたいのか、書かないと気が済まなかったのです。
(ちなみにK先生は、経歴に「東大非常勤講師を勤めるなど、学者肌の側面もある」などと書いていたが、これはなんということはない。当時、東大で、ある音楽の授業で、いろいろな音楽家を、毎週、入れ替わりで、講師として呼んでいたのだ。私はその授業は聴いていませんが、若杉弘(わかすぎ・ひろし。指揮者)なども出たという話でした。そのシリーズで、K先生は、1回、授業を担当したに過ぎない。その先輩をはじめ、東大オケの弟子たちを登場させてフルートを吹かせたらしい。出てない授業なので、あまりなにも言えないが、いったいどういう授業だろう。しかし、そんなものを自慢げに経歴に書くなんて、まるで芸大で数学を教えたことを自慢するがごときものではないかと思ったものである。)
(くやしいからまだ書く。いま検索したところによると、K先生は、あくまでレッスンプロらしい。私の先生は、れっきとしたプロのオーケストラで吹いていた達人である。オーレル・ニコレに師事し、ほんとうにうまかったし、アナリーゼ(曲の分析)もすごく、博識で、しかも性格もよかった。最後のこれについては意見がわかれるだろうが、良いものは良いという人だった。だから良くないものは悪く言われたと思うのだが、先生は、私の才能も高く評価してくれていたので、私には親切な先生のように思えていた。そしてなにより、先生の言う通りに練習していたら、ほんとうにプロみたいにうまくなったのである!)
ようやく本題に入ります。無伴奏フルートのための曲が、私が知っているだけでも、どれだけ豊富にあるか、ということです。音楽鑑賞をするかたのための案内の意味も込めようと思っています。私自身、吹いたことのない音楽も多いので、難易度とかは知りません。たぶんとても難しいだろうと思います。
・バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ BWV1013
バッハの無伴奏というと、ヴァイオリンの6曲、チェロの6曲が親しまれていますが、BWV(バッハ作品番号)のその次に来ている音楽です。超むつかしいらしい。私の先生でさえ、「人前ではよう吹かん」と言っていたらしいですし。ただ、私の先生の世代の人は、バッハをちょっと恐れ敬い過ぎる傾向があると思われ、もっと下の世代の人間は、たとえば私はもう45歳にもなりますが、私の世代でさえ、平気でバッハを取り上げていたものです。チェロでも、ピアノでも、チェンバロでも。ですから、今どきの人は、こういうのはこだわりなく取り上げるのでしょうね。ホルンのラデク・バボラクが、ホルンでこの曲を吹いていますが、ちょっとびっくりですね。ただし音楽的におもしろいかどうかはわかりません。
・カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:無伴奏フルート・ソナタ イ短調
これもいい曲でしてね。このエマヌエル・バッハというのは、さっきのバッハの次男なのですが、当時は、いま有名なバッハよりも売れていたというすごい作曲家で、現代のわれわれからしても、大作曲家です。フリードリヒ大王という、フルートをたしなむ王のもとで仕えていたから、こうしてフルートの作品がけっこうあるということなのです。
・テレマン 12のファンタジー
これは、レッスンで習ったことがあります。無伴奏フルートの曲が、12曲もあるんですよ!ちなみに無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジーっていう曲集もあります。私も初めてレッスンで習ったときは、このような曲は知らず、あえて予備知識なしでレッスンに臨みました。順番さえわからなかったので、最初に「第1番」をさらってレッスンに行ったら、先生から「いちばん難しい曲をやってきたな笑」と言われたものです。そんなこと言われてもわかりませんよ。そのときに、どの曲がやりやすいか教わったと思ったのですが、忘れました。先生も、ニコレのレッスンを受けたとき、この曲集を知らなくて、ニコレに「え?この曲、知らないの?」と驚かれたそうです。(そのニコレのこの曲の録音が残されていないっぽいのは、なんという損失でしょう!)のちに、ランパルのCDを買って聴きました。なんともいえない自由な演奏で、四角四面に吹いていた自分が情けないくらいでした。ランパルのテレマンは、まるで、コルトーのショパンのようでした。自由自在なのです。有田正広の録音は、ワンパターンでつまらないと思いました。いま検索したんですけど、有田氏は、この曲を再録音したのかな?あるとき、オーボエの仲間が、ホリガーがこの曲をオーボエで録音したCDを気に入っていて、それがじつはフルートの曲だと知って軽くショックを受けていたようですが。ホリガーのほうが、ランパルよりはまじめな感じの演奏です。
・ドビュッシー:シランクス(シリンクス)
これも、レッスンを受けたことがあります。数分の短い曲ですが、ドビュッシーのすごい作曲能力が発揮された、名曲です。こういう名曲があるから、もっとのちの時代の作曲家は、「無伴奏フルート」というジャンルに、名曲を残すようになったのではないかな。私の先生が言っていたのは、最後に書いてあるディミヌエンドの記号が、アクセントにも見えるということで(「だんだん小さくする」の意味か「強調する」の意味か、違ってきてしまう)、ニコレは自筆譜を見に行って「アクセントだ!」と言っていたとのことでした。実際にこの曲のニコレの録音を聴いてみると、アクセントで吹いているようです。
あとはもう、やったことない曲ばかりになります。たぶん難しい曲ばかりだろうと思います。
・カルクエーレルト(カーグエラート):ソナタ・アパショナータ
前にもちょっと言いましたが、オルガンの作曲家がフルートの名曲を書く場合があり、ヴィドールやテオドール・デュボアなどがいます。なぜか知りません。この曲は、ある先輩が、しきりにさらっていた時期があります。たぶんそのころ、レッスンで習ったのでしょうね。
・ヴァレーズ:比重21.5
通称「デンシティ」です。プラチナのフルートのために書かれた曲で、これはプラチナの比重だそうです。私の先生のおはこでした。リサイタルでも聴いており、もうこういう曲は、例のK先生宅での屈辱の日にも、まっさきくらいに思いついているのですが、くやしいことに言えなかった。「じゃあきみはずっとヴァレーズのデンシティだけ吹いて過ごすんだね?」と言われるから。でも、いいじゃないですか。いまの私は、もうフルートを吹くことそのものがなくなってしまった。この曲は、業界の曲だけにしておいたらもったいない。ヴァレーズの「アルカナ」とか「アメリカ」とか「イオニザシオン」とかお好きなかたは、聴いてみる価値があると思います(そういう人は、言われなくても知っているか…)。だいたい無伴奏フルートで、そう長い時間は持たせられないので、短い曲ばかりです。
・武満徹:「ヴォイス」「巡り」「エア」
武満徹(たけみつ・とおる)は、私の大好きな作曲家で、前に、「武満徹の中毒性」とかいう題の記事を書いたと思うのですが、「ヴォイス」は、先生の発表会で、いまやある高名なフルーティストが、コンクールに向けて披露して、すばらしかったことを思い出します。せめて、K先生の前でも、その高名なフルーティストを門下から輩出していることを言えれば、そこまでなめられることもなかったと思いますが。
「エア」は、武満の完成された最後の作品。後期の武満の音楽は、美しくてすばらしいので、「ノヴェンバー・ステップス」を聴いてこりた、みたいな人も、こりずに、武満の1980年以降の作品もお聴きください。オーケストラ作品がいいと思います。晩年の武満は、さらに進化していて、単旋律の方向に向かっていたということを言う人もいますが、そうかもしれません。「群島S」など、最晩年の作品を聴いていると、そんな気になってきます。ぜひ、武満の音楽が好きな人は、これらの作品もお聴きください(というか、武満ファンなら、これらの曲は、当然、知っていますよね…)。
・福島和夫「冥」「春讃」
日本人の作品ばかりが続くとお思いかもしれませんが、これらは、世界的なフルート独奏のレパートリーです。いや、世界の誰が見向きもしなくても、私が好きなら、それでいいんですけどね。「冥」は、ある仲間のプロのフルーティストの演奏で聴いて、とってもよかったし、「春讃」は、これは名前を出しちゃいますが、西田直孝(にしだ・なおたか)さんのリサイタルで聴いて、これまたすばらしかったのです。福島和夫の無伴奏フルート曲って、たぶんもっとありますし、もっと言えば、日本人の作曲した無伴奏フルート曲だけでも、たくさんあると思うのですが、ここでは、評価のかたまった作品だけにしぼりますね。それくらいたくさんあるのです。ふざけるなよK!
・マラン・マレ:スペインのラ・フォリア
ラ・フォリアというのは、決まった音型で、それに変奏をつけていくものです。いろいろな作曲家が書いています。ラフマニノフもピアノ独奏曲で書いているのですが(いわゆる「後期ラフマニノフ」。ラフマニノフが長い中断をへて作曲を再開した時期の作品)、「コレルリの主題による変奏曲」という間違った曲名をつけています笑。コレルリも、フォリアを作ったというだけの話なのですが。これは、マラン・マレによるフルート独奏曲で、好んで演奏されます。個人的には、あまり真剣すぎるような演奏は好みではありませんね。気楽に取り組んでいる演奏が好きです。
・アントン・シュターミッツ:フルート独奏のための8つのカプリス
これ、ぜんぶは聴いたことないのですが、一部が、リュッタースのCDに入っていて、知っています。シュターミッツと言いますと、一般的には、父のヨハン・シュターミッツが有名みたいですが、フルート界では、このアントンや、その弟であるカール・シュターミッツが有名なフルート協奏曲を書いていて、ヨハンより有名であります。モーツァルトとかお好きなかたには、こういう作品は気に入っていただける気がしています。カール・シュターミッツの協奏曲とか、新たなモーツァルトのフルート協奏曲を手に入れたかのような喜びがあると思います。私はやったことないですけど、よくフルートを習うみなさんは、やっているみたいですしね。
・ベリオ:セクエンツァⅠ
ベリオのセクエンツァのシリーズは、いろいろな楽器のために書かれています。 フルート独奏のために書かれているのが「Ⅰ」と呼ばれるものです。したがって、フルート界では、この曲を、たんに「セクエンツァ」と呼んでいます。なかなか衝撃的な曲で、どう言い表したらいいのか、うまく言葉にならない感じですが、「フルートソロ」の曲には、こういった衝撃的な曲がしばしばあるのです。上に挙げたなかにも、そういう曲はありました。
・オネゲル:雌山羊の踊り
ベリオに比べるとだいぶ聴きやすい音楽となりました。ドビュッシーのシランクスの路線にあると思われる曲で、ドビュッシーよりだいぶリラックスしているように感じられます。フランス近代の音楽がお好きなかたには気に入っていただけるのではないかと思います。「オネゲルは難しい」と思っているかたにも聴いていただきたいと思います。これ、数分の曲ですし、気軽に聴けますよ。
・フェルー:3つの小品
これは私は大好きですね!聴くぶんにはね!これはちょっとしたBGMです。気軽に聴けちゃう感じ。これも、フランス近代が好きとか、プーランクのフルート・ソナタが好きですというかたには、気に入っていただけるのじゃないかなあという気がいたしますね。
・イベール:小品
もう少し、シリアスめの作品になりますが、あくまでイベールの、フランス近代の美しい音楽だろうと思います。これも私は好きです。イベールの、フルート協奏曲みたいな本格的な作品からはじめて、「2つの間奏曲」みたいな音楽まで、イベールのよさが出ています。「寄港地」とかお好きなかたにはぜひ。
・ボザ:イマージュ
ボザもいい作曲家ですね。管楽器の作品をたくさん書いたために、管楽器の人のあいだでは、じつに愛されている作曲家です。われわれはボザに感謝しなくてはなりません。上に並べている曲とあわせて、フランス近代の管楽器の曲とかお好きなかたには気に入っていただけるのではないかという曲です。
・ジョリヴェ:5つの呪文
これがまたすごい曲で、師匠であるヴァレーズの「デンシティ」と並んで、これでもかという曲なのですが、人を引き付ける魅力があります。
まだまだあるんですけど、私がなじんでいると言ってもいいと思ったのは、これくらいになります。ねっ、こんなにたくさんあるでしょ。25年以上前の恨みを一気にはらした感じになります。悪いけどフルートひとりぼっちでもこんなにレパートリーはあるからね。第一、私は悪いけど合わせるのは得意だし、悪いけど私の先生は無名だけど実力はあなたよりあるし、悪いけど私はあなたの弟子よりうまいくらいになったし。(私がへたなせいで私の先生に迷惑をかけたのは申し訳ないが、私の先生が無名なせいで私も迷惑を受けている。迷惑とは思っていないけれど、ほんとうに、音楽で売れるって実力じゃないから、私の先生も、自分よりはるかに実力のないフルーティストどもが、自分よりはるかに有名になって、音大の教授になったり、CDを出していたり、テレビにも出ていたりすること、くやしいと思っていたと思いますよ。)でも私はいまや仕事もできないけれどフルートも吹けなくなって、最後に楽器を出したのは、おととし(2019年)のクリスマス。ピッコロは、いつから吹いていないだろう。フルートもピッコロも、いい楽器なのに、かわいそうだなあ。いちばんかわいそうなのはオレだけどね。でも、フルートの曲を聴いて楽しむことはできます。こういう偏った鑑賞はおもしろいと思います。私も、ホルンの友人ができたときは、ずいぶんホルンのレパートリーに詳しくなってしまったものです。吹奏楽の友人がいれば、吹奏楽のレパートリーに詳しくなるわけでもあり、マンドリンの仲間がいれば、多少はマンドリンの曲も覚えるし、三味線やバンドも同じです。林家木久扇いわく「ここでおうたもなにかの縁、あそんでいってくんなまし」。すべては出会いなのです。
ちなみに、じつはフルート独奏の曲は、概して難しいと思います。まるはだかだから、よっぽどうまくないと聴かせられない。ピアノ伴奏とかがあったほうが、よっぽど助かるというものです。
もう一度、おすすめを挙げます。バッハとかが好き→カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのソナタ。フランス近代とかが好き→フェルーの3つの小品。モダンにして美しい曲が好き→武満徹の「エア」。おそらくYouTubeにあると思うんですけど、リンクがはれなくてごめんなさいね。吹く人向けに言ってませんよ。鑑賞する人向けです。
長い記事ですが、2023年6月11日に付け足しをします。なぜ付け足しが行われていなかったか、記事を書いたときに私がどう思っていたか、わからないのですが、演奏論の話を飛ばしているのですね。以下に蛇足を付け足します。
フルーティストのエマニュエル・パユが、ソロのフルート曲ばかりを集めた2枚組アルバムを出しているのです。2017年録音で、2018年発売。出てすぐ買ったと思います。私がnoteを開始したのが2020年ですから、そのころすでに持っていたはずなのに、触れていないのは意外なので付け足すわけです。上述のテレマンの12のファンタジーをバラバラに配置し、それ以外のフルートソロ作品の多くは20世紀以降(たまに21世紀)の作品なので、それと交互に納めてあります。上述の作品もかなり含まれています。最後にタワーレコードの記事から写して書きましょう。マレのラフォリアが「古い」音楽なのとあわせて、テレマンが「古い」音楽なのに対し、他の音楽が「新しい」ため、交互に聴くと耳が飽きず、これはよほど考え抜かれて選曲、配置されたアルバムでしょう。コロナ禍で自殺なさった元同僚の情報科の先生が、クラシック音楽がお好きで(ご自身もピアノやオルガンを弾かれるかたでした)、これをお課し「交互に出てくるんだよね」という感想をいただいたことを覚えています。とにかくこのことを付け足したかったです。最後に、その先生のご供養も兼ねまして、クリスチャンプレス「発達障害クリスチャンのつぶやき」の記事をはります。
では、そのパユのアルバムの収録曲のご紹介です。
武満徹 エア
(この曲は、武満の最後の曲だと長く思って来ましたが、ほんとうの武満の最後の曲は、ギターソロのための「森のなかで」なのです。谷辺昌央さんに直接、聞いた話ですが、言われてみれば確かに、エアと同じ音型が出て来ます。谷辺さんのリサイタルの思い出も最後に2つ、はりましょう)
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第1番 イ長調
カルク=エーレルト ソナタ・アパッショナータ 嬰ヘ短調 作品140
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第2番 イ短調
イェルク・ヴィトマン 小組曲
(この曲は本文中には出て来ません。私より2歳だけ年長の作曲家で、21世紀に入ってからの作品です。)
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第3番 ロ短調
武満徹 声(ヴォイス)
このアルバムで、テレマンを除くと、同じ作曲家から複数の曲が選ばれている作曲家って武満だけなのですよね。フェルーは3つで1つだし。それを言ったらテレマンも12曲で1つか。
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第4番 変ロ長調
ロバート・ヘルプス セカンド・ソーツ
これも本文中にはないですよ。21世紀まで生きた比較的新しい作曲家の作品です。
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第5番 ハ長調
アルテュール・オネゲル 牡山羊の踊り H39
これ、デボストの来日記念録音であったのですよね。デボストにも「ソロ」というべきアルバムがありますが、このパユのアルバムほど徹底はしていません。いいですけど。そちらにもデボストの録音は含まれていますが、なにしろその来日記念盤は、ドップラーのハンガリー田園幻想曲の、極めて独創的な演奏が含まれていたのです!あれはなにかの機会に、世に出していただきたいですね。
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第6番 ニ短調
マティアス・ピンチャー beyond (a system of passing)(2013)
タワレコも翻訳ができないようです。私より4歳だけ年長の作曲家で、やはり21世紀に入ってからの作品です。
ピエール・オクターヴ・フェル― 3つの小品 ~I.恋にとらわれた羊飼い
パユのインディーズ・レーベル時代の録音のひとつにありました。パユ再録音となるわけです。デボストのソロのアルバムにも収録されています。
テレマン:無伴奏フルートのための幻想曲 第7番 ニ長調
フェル― 3つの小品 ~II.翡翠
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第8番 ホ短調
カール・ニールセン 子供たちは遊んでいる (劇音楽「母」より)
これも本文中にない作品です。ニールセンにフルートソロの曲があろうとはねえ。よくもK先生は知ったかぶりをしたものだ。
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第9番 ホ長調
フェル― 3つの小品 ~III.端陽(端午の節句)
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第10番 嬰ヘ短調
ルチアーノ・ベリオ(1925-2003):セクエンツァI
本文中にあります。これ、ニコレの録音があるのですよね。CD化もされていましたけど、聴いたことがない…のではなく、生涯で1度だけあると思います。ニコレの若いころのグラモフォンへの録音で、あるのです。LPレコードを入手し、当時、ある音楽の同僚の「音楽準備室の会」で、彼のレコードプレーヤーで聴きました。1回限りのリサイタルのつもりで聴きました。この記事では、ドビュッシーのシランクス、またイベールの小品、また福島の冥などがありました。聴いてみてこの歴史的録音がなかなかCD化されない理由もよくわかりました。曲が地味すぎて、採算があわないのでしょう。いつかどこかで出るのに期待したいと思います。
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第11番 ト長調
アルヴォ・ペルト エストレントラー
これも本文中にありません。ペルトは存命中ですかね?
テレマン 無伴奏フルートのための幻想曲 第12番 ト短調
エドガー・ヴァレーズ デンシティ21.5
これは本文中にもあります。なかなか演奏家に恵まれない曲であった気がします。ある音楽図書館で、デボストのLPを聴かせてもらった経験があります。なかなかね、ないですね。算数・数学教室をやっていて、プラチナの比重が21.5であることはけっこうよく使います。水が1リットルで1キログラムですからね。体積と重さは比例するのです。水の21.5倍!最近、付近の科学館に行って(障害者割引で入場無料)、1リットルのさまざまな重さのものを持ち上げる実験をしましたが、18くらいの比重の金属でもう持ち上がらないものです。21.5は重い!プラチナのフルートを持ったときの重さを思い出します。長い脱線おしまいです。
マラン・マレ スペインのフォリア
パユのアルバムの収録曲は、以上ですね。
パユがドビュッシーのシリンクスだのイベールだのを入れていないのは、他の機会に録音したからでしょうね。いつか、デボストのソロアルバムのレビューも書けたら、と思います。
ラス3、ラス2で、その谷辺さんの思い出について書いた記事をはります。②は極力、①と重ならないように書いたせいで記事に広がりがないと感じます。お読みになるなら①ですかね。それ以上に、その下の「発達障害クリスチャンのつぶやき」をおすすめいたします。まったく傾向の違う記事ですけど。
お金だけでは救われない 【発達障害クリスチャンのつぶやき】 - クリプレ (christianpress.jp)
それではまた!