戸籍の名前が本名ではない
なんとなく「戸籍の名前」を「本名」と呼んでいる人が多いことを感じます。旧姓で働くおもに女性、私もそうですが略字をふだん使っている難読漢字の人。しかし、私は20歳から25歳までの5年間、「戸籍の名前が本名ではない」という経験を強烈にしたことがあるのです。
私は、下の名前を一度、変えています。いまの私の本名をご存知のかたには「え?」と思われることかもしれません。20歳の誕生日の翌日から名乗り始めました。(※私の書くことはすべてフィクションですよ。)きっかけは以下のようなことです。そのころ悩んでおりました(いつも私は悩んでいますね)。母は、その数年前から、改名していました。母も悩んで、姓名判断の先生に新しい名前をつけてもらっていたのです(彼女はいまだに戸籍の名前は前の名前のままですが)。そのとき、その姓名判断の先生が、頼んでもいないのに、私の父、私、私の弟の名前も考えてくれたというのです(あまりよい名前ではなかったということです。姓名判断的には)。彼女は、名前を変えてみることを提案しました。私は、新しい名前が何であるかも聞かず、賛成しました(この、思いついたら即実行、も、いい特徴のようで、じつは発達障害の特性だと、いまは思います)。そして、その名前が、いまの名前だということです。
ですから、キリスト教とは関係ありません。前の名前もキリスト教とは関係ありませんでしたが(封建的な名前でした。徳川家康の「家」みたいな一字が、十代以上にわたって、江戸時代からつけられ続けました)、新しい(いまの)名前もたんなる姓名判断です。
とはいえ、生まれ変わったつもりで、新しい名前を使い始めました。それからもいろいろなことがあり、キリスト教とも出会い、いろいろありましたが、そのころ強烈に感じたのは、戸籍の名前が本名ではない、ということでした。
戸籍の名前は、古い名前です。しかし、私にとって「本名」とは、新しい名前のことでした。戸籍の名前が本名ではない、というのは、私の「実感」でした。
名前というのは、5年以上使うと、問答無用に戸籍から変えてもらえます。25歳になった私にとって重要な問題は、修士論文を提出する時期だったということです。修士論文は、学術的に重要な論文です。「本名」で書きたい。しかし、学籍は戸籍とつながっているので、名前は戸籍の名前になってしまう。私の誕生日は12月で、その20歳の誕生日の翌日から「改名」しており、修士論文提出は、その5年後(25歳のとき)の、1月でした。ですから確かに5年は使っていますが、あまりにもギリギリです。そのころ知り合ったユニークな弁護士さんのアドバイスもあり、戸籍を変える前に、ある裁判所に行きました(何裁判所だったかな?)。戸籍の名前を変える要件はいろいろありました。たとえば「結婚によって、親戚に同姓同名が発生してまぎらわしい」というのは、立派な「理由」であり、問答無用に変えてもらえる理由だったりします。それから「お坊さんになった」など。そして「5年以上使った」というのも立派な「理由」です。私は、知らずに、かなりたくさんの「新しい名前の書類」を持って行ってしまいましたが、そんなにいらないのです。「新しい名前で届いた年賀状が、年に3通くらい、5年ぶん」あれば、問答無用に戸籍の名前は変わるのです。ただし、私は、年賀状が5年ぶんはありません。ここで決め手となったのは、私が名前を変えたときの母の日記のコピーです(裁判所の人がちょっと驚いていたのが、「母のすすめで改名した」ことでした。多くの人は、親に逆らって名前を変えるらしい)。そして、私が修士論文提出を控えていること。その特別な事情がありますので、30分くらい話し合われたようですが、私は特例として認められました。私の名前は戸籍から変わり、修士論文は新しい名前で提出できました。(数学科は、あまりに専門的なので、少なくとも私の大学では、卒論というものはありませんでした。学部生では、論文を書ける実力がついていないのです。はじめて書いた論文が、修士論文です。)戸籍が変わると、あと運転免許証や銀行の口座などはすぐに変わりました。このへんは、結婚した(おもに)女性は多く体験なさっておられることかもしれません。
それからさらに20年以上がたちます。ここまで私は、「本名」という言葉を、「20歳から使い続けている新しい名前」という意味で使って来ました。「25歳から」ではないのです。人によるとは思いますが、「戸籍の名前が本名」と思っておられるかたも多いと思います。しかし、私は、「戸籍の名前が本名ではない」と、そのころ強く思いました。
私は、戸籍から名前が変わったのと、キリスト教の洗礼を受けたのと、修士論文の提出が、ほぼ同じ時期です。そのあとに私を襲った大病(そしてそれの続きがいまの困った状況に続いている)は、よく(なかば冗談で)「先祖のたたりだ」と言っていましたが、もう関係ありません。気に入る、気に入らないを超越して、いまの名前で満足しています。「(25歳なので)男の厄年だ」ともよく言っていましたが、まさか46歳現在まで続くのを、25歳の男の厄年とは言いますまい。まあいずれもキリスト教とは関係のないことです。
そういうわけで、名前というのは、「5年使ったら、問答無用に戸籍から変わる」ということ、そして、それは新しい名前で届いた年賀状が、年に3通くらい、5年ぶんあればじゅうぶんですという情報を繰り返させていただきまして、この記事を終わります。お読みくださりありがとうございました。