イエスの十二弟子と真田十勇士
「イエスの十二弟子(十二使徒)はなぜすべて男なのか」という問いが昔からあるようです。最近、それがなぜなのか、ヒントになるようなことを知りました。真田十勇士(さなだじゅうゆうし)というのが小学生向けの歴史の図鑑に載っていたのです。猿飛佐助(さるとびさすけ)の名前くらいしか知りませんが、真田幸村に仕えていた10人の家来のことらしいです。霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)などいます。講談とか、映画とか、いろいろなものになっているようです。このノリではないのだろうか。
学生時代に、歌舞伎の好きな寮の後輩がいまして、あるとき特等席を予約してもらって、観劇に行きました。お正月で、とても有名な出し物をやっていました。「勧進帳」と「白波五人男」でした。(クラシック音楽で言えばベートーヴェンの「皇帝」と「運命」を聴いたようなものでしょうね。)この白波五人男というのが、また、5人出て来てそれぞれせりふを言ってポーズを取るのです。あたかも私が幼いころテレビで見た「ダイナマン」のような、5人の戦隊ヒーローもののようでした。もっともダイナマンはひとり女性がいました。とはいえ、こういう五人組の戦隊ヒーローというのも、白波五人男みたいなものだと考えられます。
真田十勇士にしても、イエスの十二弟子にしても同様のものではないのだろうか。イエスの十二弟子と言っても、活躍するのはペトロ、ヤコブ、ヨハネらばかりで、たとえばタダイなどは、単に名前が出るだけで、なにをした人なのかはさっぱりわかりません。(十二人の名前を出すのはマタイ、マルコ、ルカ福音書だけであり、ヨハネ福音書は、十二人とは言いますけど名前の列挙はありません。)これはたとえば「アルファイの子ヤコブ、見参!」とか「熱心党のシモン、参上!」とかいう調子で書かれているものではないだろうか。真田十勇士は(信仰の対象でないので)「架空の人物」とネットに平気で書かれています。イエスの十二弟子も、たとえばジョン・シェルビー・スポングというアメリカ聖公会の主教はその著書で「フィクションだ」と言い切っていました。案外、そんなものかもしれません。ダビデにも三勇士はいましたね(旧約聖書サムエル記下23章8節以下参照)。昔っからこうしてヒーローをずらずら並べる趣味とでも言うものがあったということではないでしょうか。
イエスの十二弟子が男ばかりである理由って、意外とそんなところかもしれない、と思ったりしております。深い意味はないのかも。