「うるさい」と「にぎやか」あるいは「ワンパターン」と「首尾一貫している」
ゴーベールという、フルート音楽で有名な作曲家がいます。とてもいい曲を書くのですけど、ある意味でどれも同じような曲です。これは「ワンパターン」とも言います。しかし「作風が首尾一貫している」とも言います。同じような作曲家で、ホヴァネスという人がいます。ホヴァネスの曲も、どれも似たような曲で「ワンパターン」とも言えますが「作風が首尾一貫している」とも言えます。もっと有名な作曲家では、ヴィヴァルディという人がいます。ダラピッコラという作曲家が「ヴィヴァルディは何千曲も書いたのではない。1曲を何千通りに書いただけだ」と言っていたと何かで読みましたが、そうも言いたくなるワンパターンぶりです。いっぽうでストラヴィンスキーという作曲家がいて、彼は若いころの「火の鳥」とか「春の祭典」などのバレエ音楽を書いたのち、何度も作風が変わり、リスナーは翻弄されたようです。ストラヴィンスキーは「進歩」した作曲家ですが、彼の作風を「首尾一貫していない」と評することもできます。
子どもたちが騒いでいるようすをみて「うるさい」と言うか「にぎやか」と言うか。同じことを言っているのでも、評価のしかたがだいぶ違います。「うるさい」はネガティブな評価で、「にぎやか」はポジティブな評価です。ものは言いようと言います。ある生徒さんの性格を「消極的」というか「控え目」というか。これも同じ状況を違う言いかたをしている例になります。「ワンパターン」と「首尾一貫している」というのも、同様の関係にあると考えられます。同じことを言っているのですが、評価のしかたがだいぶ違います。
私の記事も「ワンパターン」です。どれも言っていることは同じではないか、と思ったりします。なぜなら言いたいことはひとつだからです。しかし、私の記事は「首尾一貫している」とも言えます。ゴーベールの曲のように、ホヴァネスの曲のように、私の記事はワンパターンで、そして首尾一貫しているのです。私が「時間を無駄にせず、効率を上げて、つねに結果を出し、努力すること。やればできる。人は変わる」とか書いていたら、「え?」と思うでしょう?それは私の書きそうにないことです。だから私の書くことは首尾一貫している代わりにワンパターンなのです。
私におもしろいことは書けません。ひねりもとんちもありません。気の利いたことは書けないのです。でも、noteを書いている皆さんも、それぞれの個性がおありで、ご自分の得意なことを書いておられる。それでいいということではないでしょう。「スター・ウォーズ」の音楽と「スーパーマン」の音楽と「E.T.」の音楽と「インディー・ジョーンズ」の音楽を書いた人は同一人物で、ジョン・ウィリアムズという作曲家ですが、これも「どれも似ている」とお感じになるのではないでしょうか。しかし、それは首尾一貫していると言えます。これでいいのです!