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この人は、こういう人なのだ

 私みたいな(発達障害を持っていて)ちょっと変わった人間は、「この人は、こういう人なのだ」と思ってもらって、いろいろな「そそう」をゆるしてもらって、生きるよりないということは、45歳になる今、痛感しています。20代のある時期も、やはり、私は、「この人は、こういう人なのだ」と思ってもらって、大目に見てもらって、友だちづきあいなども成立していたことがわかります。(私の文章をしばしば読んでくださるみなさまも、この人はこういう人なのだ、と思って、読んでくださっておられるのでしょう?)

 しかし、じつは、配慮のない上司であっても、「この人はこういう人なのだ」ということを分かった上でハラスメントをしてくるという場合があることもわかってきました。

 3年前のある日の叱責のワンシーンです。そのころ、いつでもハラスメントで訴えることができるようにと、わずかな期間ですが、その上司の叱責を録音していました。いまだに非公開ですけれども(泣き寝入り)、私のブックコートフィルムのはり方がきたないということを述べる叱責で、「まっくろじゃないか!」と叱責する一方で、「まっくろと言っても、墨で塗りたくったようなまっくろじゃなくて」という言葉が入ります。つまり、私が、「こういう人」(空気の読めない人)であることを知っている言い方なのです。「まっくろ」という言葉で、私が、「たくさんゴミが入ってきたない」という意味のみならず、「墨で塗りたくったようにまっくろ」という意味に取る可能性を、(おそらく無意識的に)感じていたのです。このように、配慮のないハラスメント上司でも、私の傾向に気が付いている場合があります。(気が付いていてハラスメントしてくるから始末に負えない。)

 15年前に就職するときに、父に、「社会は、『この人は、こう見えるけど、じつはこういう人なのだ』というふうには見ない。『見たまま』を評価する」(だからお前はこのままではダメだ)という叱責を受けたことがあります。そのころは発達障害という概念はまだありませんでした。そんな私が発達障害の診断がくだってからもう5年、こんなに困窮しているのに、父はその持論を変えていないのですが、私はまさに、「この人は、こういう人なのだ」というふうに、配慮してもらわねば、今後、生きていけない。それも、上に書いた上司のように、無意識的かもしれませんが、この人はこういう人だとわかっていてなおハラスメントしてくる人もいますが…。たとえば、私は仕事が遅い。ものにもよりますが、ひとが1時間で終わる仕事が、10時間かかっても終わらない。(いわゆる簡単な仕事ほど遅い傾向にあります。その理由もわかっていて、多くの人は、簡単な仕事ほどスピーディーにできるからです。そして、その「多くの人」と比較されてしまうから「簡単な仕事ほど遅い」という評価になる。)そして、そのものすごい仕事の遅さのみならず、「いっしょうけんめい速くやろうとしているようにも見えない」というのも私の傾向です。内心では、いっしょうけんめい、速くやろうとしているのに、周囲にはそれは伝わっておらず、のーんびりやっているように見えるらしいのです。「のーんびりやってるのな!」という叱責も、小さいころからたくさん受けてきました。このように、言葉にしていくと、私の配慮してもらうべき点は、言い切れないほどたくさんあります。ですから、「この人は、(そうは見えないけど)こういう人なのだ」と周囲の人に思ってもらって、仕事をするしかないのです。

 そういうわけで、この人はこういう人なのだ、とわかった上で、意地悪をしてくる人も、上に挙げた一人だけではないのですが(私が、周囲にアンテナをはりめぐらすのが明らかに苦手なのを知っていて、あえて「もっと周囲にアンテナをはりめぐらせて」と言ってくる人など)、周囲の人に「この人はこういう人なのだ」とわかってもらった上で、仕事なりなんなりをやらないと、とても生きていけないと思います。そして、それは、私のような障害者だけでなく、健常者も、みんなそうでしょう?

 このへんまでです。お読みくださりありがとうございました。


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