見出し画像

ゼロにはできない

 あるとき、父から「ゼロにしろ!」と厳しく叱責されたことがあります。父の知っているある事務職員のかたが、公用のメールを私用で使って、クビになったとのこと。つまり、「そういうメールは、1通もあってはならない」。「1通もなければ、クビにはならなかったはずだ」。父や母の言うことを、すぐに真に受けてしまう私は、かなりあせった覚えがあります。「ゼロにしなければならない!」
 
 一方で、母の口ぐせは「ひとに迷惑だけはかけちゃいけない」でした。これと、上の「ゼロにしろ!」を組み合わせると、「ひとにかける迷惑はゼロにしろ!」すなわち、「まったくひとに迷惑をかけてはいけない」ということになります。私は完全に洗脳されていました。しかし、これに自分で気がついて脱洗脳していくのは我ながらたいしたものだと思いますが、「絶対に迷惑はかけない」などということはありえないのであって、人間関係である以上は、必ず、迷惑はかけたりかけられたりしているのです。このことは今までも何回も書いてきました。

 いっぽうで、その父の口ぐせは、「自分を客観的に見ろ」でした。これも、よく考えてみると、自分を100パーセント、客観的に見ることは不可能です。これも、我ながらよく脱洗脳したと思います。そして、今の私は、かなり「自分を客観的に見て」います。父は、この程度のことを言っていたのでしょうか。自分を100パーセント、客観的に見ることは不可能です。

 そもそも、「ゼロにしろ!」というなら、車の運転ひとつとっても、あらゆる一時停止で一時停止をし、あらゆる法定速度を守らなければ「ゼロにした」ことになりません。父や母はよく、法定速度をきっちり守っているパトカーをバカにしていました。自分たちは、法定速度40キロのところ、普通に60キロくらい出していました。現金を、普通郵便で送ってきていました。ぜんぜん、「ゼロにして」いないじゃん。
 
 人間は、およそ、「ゼロにする」ことはできないのです。「絶対に秘密だよ」と言っても、どっかでうっかり言っちゃうし。絶対にバレないように、と言っても、バレることはあります。外出すれば、どれだけ気をつけていても、事故にあう可能性があります。いいことをしているつもりでも、ひどいことをしていることもあります。人一倍ハラスメントにならないように気をつけているひどいハラスメント上司にあたったこともあります。もう、だから、完璧は無理なので、人間どうし、お互いに、大目に見て、ゆるしあって生きていくしかないのです。

 (相手がゆるしてくれない人だと困るけどね。だから私はこうして半年以上、仕事を休んでいるのですけどね)

 というわけで、およそ人間は、「ゼロにはできない」存在です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?