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池辺晋一郎よりも千住明よりも私のほうが耳がよい証拠

 前から、作曲家の池辺晋一郎よりも千住明よりも私のほうが耳が良い、と書いておりますが、いずれも具体的なエピソードがあります。それについて少し書きますね。

 まず、池辺晋一郎のエピソードから書きます。そちらのほうが記憶がはっきりしているからです。池辺さんはテレビで、マーラーの交響曲第9番の第4楽章の冒頭を、ピアノで弾いてみせていました。この冒頭は、最初の単旋律のを除いて和音が始まると、コードネームで言って、D♭、A♭、と続きます。そのつぎ、3番目の和音を「凡庸な作曲家はこう書くでしょう?」と言って、B♭mを弾きました。そして、「しかしマーラーはこう書いたのですよ」と言って、マーラーの書いたとおり、「A」で弾きました。(私はマーラーのスコアを見ていないので、「A」と書いたかどうかは知りません。「B♭♭」という書きかたをしている可能性が大きいと思いますが、コードネームとしては「A」と同じですので、ここは「A」と書かせていただきますね。)多くの視聴者は「おお!」と思わされたのだろうと思います。それがねらいの番組でした。しかし、私が気になったのは、そのつぎの4番目の和音は、マーラーはさらに独創的なのです。私もいま、なにも聴かずに記憶でこの記事を書いていますが、ちょっと記憶だけでは自信をもって書けないくらい、独創的な和音を使っています。もちろん私は、CDとかで何回か再生すれば、採れます。池辺さんは、3番目の和音を弾いたところで、弾くのをやめていました。私には池辺さんの気持ちが手に取るようにわかりました!池辺さんは、4番目の和音は、弾かなかったのではない!弾けなかったのだ!

 私はその4番目の和音は、聴けば採れます。池辺さんはだいたい、テレビ収録なのですから、いくらでも予習ができたはずです(いきなり当てられて弾いているわけではない)。それでも、(調べるのが)面倒だったのかなんなのか、とにかくその「非常に独創的な」4番目の和音を、池辺さんは弾かなかったのです。これは弾かなかったのではなく弾けなかったのであることは、私には手に取るようにわかりました。以来、私は「池辺晋一郎より耳が良い」と言っています。

 千住明さんのエピソードもこれによく似ています。やはり音楽番組のテレビに出ていました。そのときはバッハのマタイ受難曲のアリア「憐れみたまえ」をやっていました。千住さんはピアノを弾きながら、いかにバッハが非凡かということを示そうとしていました。「作曲家千住明」から見たバッハの非凡さ、というわけです。こちらはさっきの池辺さんのエピソードほどはっきり覚えているわけではありません。たしかに、多くの視聴者に「おお!」と思わせる要素がありました(テレビ番組だからです)。しかし、私が着目したのは、千住さんが弾くのをやめた箇所です。そこから先が、千住さんが「弾けなかった」ことは、手に取るようにわかりました。そこもバッハがあまりに非凡すぎて、とっさに千住さんは弾けなかったのです。弾かなかったのではなく弾けなかったのであることは、手に取るようにわかりました。たしかに、さっきの池辺さんと同じく、そこまで弾く必要はなく番組が成立しますので、たしかに弾く必要はないのですが、千住さん(池辺さんも)がそこで弾くのをやめる必要もないところでした。そして、そこからがバッハが本格化するところなのです。私はバッハのマタイ受難曲は、その気になればすべて採譜できる自信があります(ココナラの最低料金は1分の音楽で千円にしており、それで3時間を超える長い音楽なので、どれくらいの時間がかかるかはわかりませんが、とにかく採れます。しかもバッハは対位法なので、さらに時間がかかりますし、割増料金をいただくことになりますが。だいたいバッハがマタイ受難曲を作曲するのにかかった時間よりも長い時間がかかるかもしれません)。これ以来、「私は千住明よりも耳がよい」と言っております。

 というわけで、こう書き並べてみると、池辺晋一郎のエピソードも千住明のエピソードもよく似ています。いずれもクラシック音楽の解説のテレビ番組で、有名な作曲家が解説し、そして多くの視聴者には「おお!」とうならせて、私はその先を聞いて「この人(たち)より私のほうが耳がいいな」と思ったという話ですね。これが証拠です。

 最後に「採譜」と「鼻歌を歌ってくださったら適切な伴奏をつけます」というココナラのリンクをはりますね。実績がないから安いですけど、実力はとてもあるわけです。ですからかなりお買い得だと思いますよ!





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