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概数と聖書

 「概数」という小学校の算数で習う概念があります。「おおむねの数」という意味で、ようするに「だいたいの数」という意味です。ふだん、われわれが、無意識のうちに使っている概念です。

 「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった」(ルカ3:23)。「およそ」と言っています。これが「概数」で、イエスが宣教を始めたのは、だいたい三十歳だと言っています。どれくらいのはばがあるのかはわかりませんが、「だいたい」と言っています。

 五つのパンと二匹の魚で、五千人が満腹しました。「女と子どもを別にして」と書くマタイ、また、「男五千人」と書く他の福音書、(聖書協会共同訳は「五千人」と訳していますが、)いずれにしても、「ぴったり五千人」とは言っていません。じつは、注意深く聖書を読むと、マルコ以外の福音書(マタイ、ルカ、ヨハネ)は、「およそ五千人」とか「五千人ほど」とか言っています。はっきり概数であると書いています。じゃあマルコが書いているのはぴったり五千人なのか、四千九百九十九人でもなく、五千一人でもない、五千人かというと、おそらくそうじゃないですよね。だいたい五千人と言いたいのです。これも概数です。

 私自身、新約聖書の通読回数が、いまは31回ですが、30回だったころは、自然と「ジャスト30回」という言い方をしていましたね。「30回」というと、概数に見えるのです。

 パウロが難船したとき、船に乗っていた人数は、「二百七十六人」(使徒27:37)だったと書かれています。これは、概数という感じはしませんね。かなり正確に数えた人数だという感じがしますでしょう。有効数字が3桁だからです。ところが、田川建三訳では、ここに「およそ七十六人」と書いてあります。果たして、「およそ七十六人」などという言い方は、あるのでしょうか。「およそ七十人」とか「およそ八十人」ならわかりますけどね。

 しかし、新改訳2017のダニエル5:31によると、ダレイオスが王になったのは、「およそ六十二歳」と書いてあります。これも、ちょっと、違和感のある表現で、新共同訳だと(6:1になりますが)「既に六十二歳」、聖書協会共同訳でも「六十二歳」です。「およそ六十二歳」は、少し気持ち悪い気はしませんでしょうか。私にはヘブライ語は読めませんので、日本語の聖書で比較するしかないですけれども。

 やはり新改訳2017の話になりますが、1シェケルは11.4グラムと書いてあります。巻末の表で見ても、ひんぱんに出てくる注でも、そう書いてあります。「約」という言葉はついていません。ぴったり11.4グラムです。「11.4グラム」と言ったら、有効数字3桁です。ものすごく正確な数字を言っていることになっています。それで、正しい秤、正しい重りを使え、という文脈でも出てくるものですから、いったいどういう根拠のある数字かわかりませんが、どうしてそんなに正確なことが言えるのか、ふしぎではあります。(聖書協会共同訳の巻末では「約11.4g」と書いています。発見されている分銅の平均値だそうです。この点にかんしては、聖書協会共同訳のほうが、良心的であると言えましょう。)

 有名な話で、列王記上7:23によると、円周率が、3ぴったりになるという話があります。ここをツッコミどころとして、教会荒らしをやっている輩がいるらしいことは知っていますが(この話は一回、noteで書きましたけど。リンクがはれなくてごめんなさいね)、そうじゃなくて、これは、直径が10アンマとか周が30アンマとか言っているのですから、有効数字1桁なのです。で、円周率というものは、有効数字1桁なら、3なのです。なにもここだけ3.14にならなくてもいいのです。3.14だって、概数ですしね(もっと長く続くことはご存じでしょう)。

 小学校の算数の教科書を見ていますと、「概数」という概念はたしかに教えていますが、ちゃんと概数の概念が教科書全体に染みわたっているのかというと、ちょっと疑問を感じる箇所がたくさんあります。その小学校算数の教育を受けた人が、上のように聖書の翻訳をし、また、われわれ一般の読者も、それを読んでいるわけです。数字に弱い人は多いですからね。気を付けねばなりません。

 本日は以上です。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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