浅さで生きていける話
きのう、「人生の深みを見てしまうと精神病は治らない」という投稿をしました。最後のほうで、星野道夫の「人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう」(星野道夫『旅をする木』より)という言葉を紹介し、なんだか尻切れトンボみたいな終わり方をしましたが(考えてみると、これ、極めてトンボに失礼な言葉ですね)、そこから「浅さで生きていける話」になったら、話がふたつになってしまうと思って、やめたのです。
きょうは、浅さで生きていける話を書きますね。
コイケヤのカラムーチョ、すっぱムーチョ、シームーチョは、おいしいです。こういう話で、人は癒やされます。私のツイキャスも、ある時期から、もうくだらない話をしようと心に決めましたが、くだらない話で人はいやされます。私のツイキャスで、もっとも盛り上がった話題は、「どんな寿司のネタが好きか」という話題と「柿の種の、せんべいと落花生の割合はどれくらいがおいしいか」とかいう話題でした。食べ物の話は、当たり障りがなくて、いったん盛り上がると、果てしなく話題が続きますね。みなさん、これで癒やされるのだと思います。星野道夫さんが、こういうつもりでその言葉を書かれたのかどうかはわかりませんが。
自殺しようとした人が、もう首をくくるか、屋上から飛び降りるところまで行って、いやまてよ、見たい番組があった、あれを見てから自殺しようと思い、いったん自殺をやめて、テレビを見ようとして、結局、自殺をしないで済んだ話とか、やはり、自殺をしようとした人が、いやちょっとまてよ、トイレに行きたいな、トイレへ行ってから自殺をしようと考え、トイレに行き、結局、自殺をしないで済んだ、とかいう話も聞いたことがあります。まさに、非常に深刻な問題が、「浅さ」で救われたケースと言えるでしょう。
くだらないテレビ番組は、かなり意味があります。いや、世界の情勢や各地の災害について述べた深刻なニュースでさえ、じつは、自分の心をまぎらわす効果がけっこうあるのではないでしょうか。(言い過ぎか?)
(たとえばコロナ流行の初期、「新型コロナ」を、(車の)コロナの新型が出たのか?と思った人の話、あるいは、「コロナ」という名前の老いたワンちゃんがいて、しかし耳は遠くなっていないので、テレビが「コロナ」というたび、テレビのほうを見る、といった話は、当時は、「不謹慎」という雰囲気でした。いま、この話は、ほとんど不謹慎ではないですね。)
きょうは、このあと、noteを更新するとしたら、浅い話をたくさん書こうかな。ごめんなさいね。(←だからなんであやまるんだろう。)
このへんまでです。お読みくださり、ありがとうございました。