あなたの執念があなたを救った
「あなたの信仰があなたを救った」。このイエスの言葉は聖書に何回か出て来ます。私がたびたび出す、盲人バルティマイの場面でも出ますが、以下の「12年間出血の止まらない女」の話でも出ます。新約聖書マルコによる福音書5章21節以下です。
この話の真の主役は、じつはヤイロという会堂長です。ヤイロの娘が死にそうなのです。ヤイロは必死でイエスに頭を下げます。どうかお出でになって手を置いてやってください、そうすれば、娘は助かり、生きるでしょうと。この、人が生きるか死ぬかという場面へもってきて十二年間も出血の止まらない女というのが出て来ます。多くの医者からひどい目に遭わされ、全財産を使い果たしたが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であったと書かれていますので、もうこれはよほど絶望的な状況です。彼女は群衆のなかに紛れ込み、後ろからイエスの衣に触れます。彼女に「順番」という概念はありません。順番からしたらヤイロが先ですが、そのような概念は彼女にはないのです。そして、せめてこの方の衣にでも触れれば治していただけると思ったと書いてあります。これはもう、あつかましいを超えて、すごい執念だとしか言いようがないです。この12年間、どれほどの医者に裏切られて来たか、どれだけ期待を裏切られて来たか、この状態が12年続いているけれど、あと何十年続くのか。お金ももうない。それでもイエスの衣に触ろうとするこの女は、もう「執念」としか言いようがないです。そして、イエスの衣に触った瞬間に彼女は癒されるのです。触った瞬間にですよ!!
これは、もちろんイエスの衣から力が出て行って女を癒したのでしょうが、この奇跡を起こしたのは、むしろ女の執念だとは思いませんか。これは、この女の執念が起こした奇跡だと私は思うのです。
イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、私の衣に触れたのは誰か、としつこく聞きます。女は恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話しました。ここでイエスが言うのです。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と。イエスは「あなたの執念があなたを救った」と言いたいのでしょう。
と、こんなことをしているものですから、ヤイロの家から人々が来て、お嬢さんは亡くなりました、もう先生を煩わせるには及ばないでしょうと言います。しかしイエスは、恐れることはないと言い、ヤイロの家に行って、少女に「タリタ、クム」(少女よ、さあ、起きなさい)と言って、ヤイロの娘をよみがえらせてしまいます。もう大団円ですな。
というわけで、やっぱり聖書って、あつかましさの推奨の書だなあ、と思います。12年、出血がとまらなくてもあきらめるな、38年、歩けなくてもあきらめるな、と聖書は言っています。
私は、洗脳を解かれるのに、46年かかりました。昨年、46歳というのが、記念すべきときとなりました。いま47歳です。私の人生はこれからです。あつかましさは人を救うということを身をもって感じています。