たくさん祈られる対策
私は間もなく仕事を失います。生まれてはじめての無職の経験です。おそらく失業保険をもらいながら、次の仕事を探すことになります。私は今年47歳になるキャリアなしで、障害者でありますが(つまり障害者手帳を持っていれば少し有利のはずという意味)、できないことが多すぎて、就くべき仕事がかなり限定されます。どういう求職活動になるのか、まったく想像がつきません。
私が職を失ったら動いてくれるはずの障害者福祉の人は、もともと福祉の人ではありません。リーマンショックのときに職を失い、「年齢+10は落ちるよ」と言われ、その通りになり、極めてきつい時期を乗り越え、現在の「障害者福祉」という職に就いたかたです。どれほど精神的にこたえるかを教えてくれたことがあります。「見たのか?」という速さで履歴書が戻って来る。「不採用」のことを「祈られる」という言いかたを最近、知りましたが(ますますのご活躍をお祈りいたしますという文面で不採用を知らせて来るから)、私も年齢+10でも60回くらいは祈られておかしくないわけです。以下に、メンタル面で私が考えた対策です。
つまり、これは、ぐちを言わなくてはとても持たない。しかし、家族にぐちを聞いてもらうには限界がある。家族も私が落ちるたびにショックを受けるはずです。そこへ私のぐちが来たら、もう耐えがたいだろうと思います。そこで、「ぐちの言える他人」がどうしても必要になります。しかも、特定の人だけにぐちを言い続けたら、言われるほうもやはりもたないというか、嫌われるというか「いい加減にしろ」ということになるでしょう。そこで、「なるべくたくさんの、ちょっとずつぐちの言える人々」が要ることに気づきました。失業前にこのことに気づいた私はなかなか鋭い(?)。とにかく困難を乗り越えるときは「友達」が必要だということには気がついているので、そのようなぐちを言う相手が、少しずつ、たくさん要るということに気づきました。
ありがたいことに、いまの私にはたくさんの友達がいます。いろいろな人に、ちょっとずつ、ぐちを聞いてもらうのだ!これで、メンタル面で乗り切るのだ!
それにしても「不採用」を「お祈り」という言いかたはなんだか嫌ですね。キリスト教では「お祈り」はとてもいいことなのに。でも、とにかくたくさん祈られるだろうから、ぐちを言う相手がたくさん必要になることは間違いないと思われます。しかし、いままでだって、ひたすら仕事がなくて、寝て起きて、食べては寝て、起きてまた食べて寝るだけの生活を、かなりいろいろな「友達」にメンタル面で支えていただいていました。それと同様ですね。メンタル面での支えはどうしても要ります。このことに気がついてよかった。友達を大切にしよう!