見出し画像

腹ぺこの「ちょっとあつかましく生きてみたい」

 こう、仕事がなくて、寝て食べて、また寝ての生活は、生きるモチベーションを見失いがちです。じっさい、私の、今年(2021年)2月くらい(2か月ほど前)の日記を見てみますと、ずいぶん、「note依存」しています。そのことには気づいていますが、どうしようもなかった。吐き出し口がnoteくらいしかなかったからです。ほんとうに、生きる意味というか、生きるモチベーションを見失いがちでした。(仕事もなにもなくて、ただ休んでいるのは、かなりつらいですよ。あんたはラクでいいな、ではないのです。忙しいのもつらいですが、ひますぎるのもつらいです。生きる意味を見失うのです。)

 ところが、日記によれば、2月の末に、あるインターネットで知り合った、クラシック音楽マニアのかたとメールで文通をするようになっています。明らかに、そのころから、私の精神状態は安定しました。はりあいがあるのです。そのかたとは、人生観もなにもかも違います。でも、そのかたと文通することで、明らかに生きることにたいしてはりあいが出て、生きるモチベーションが保てるようになりました。そのかたも、私との文通を楽しんでくださり、私がなにげなくすすめたある動画(アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団のマーラーの交響曲第7番)をたいへん気に入ってくださり、アバド/ルツェルンのブルーレイディスクをすべて集めて、それだけでホームページを作ろうとなさっているほどの力の入れようです。もちろん、それはそのかたの趣味ですが、私としては、なんだか、私の言ったことが、世に出るということが、うれしかったのです。前にも書きましたが、なんの役にも立っていないということは、とてもつらいことです。このように、仕事を休んで、寝て食べての生活しかしていない者が、なにかの形で、自分の家の外へ、なんらかのものが発信できたら、とてもうれしいのです。

 そのかたとの文通を通して学びました。そのかたにだけ、あつかましくするのには限度があります。だれでも人間ですから。その人は私と違ってフルタイムで仕事をしておられますし。そういうわけで、いろいろなメール友達ができました。クラシック音楽のメール友達が多いですが、数学の話に興味をお持ちくださるかた、宗教の話に興味をお持ちくださるかた、いろいろいます。多くの人に、ちょっとずつあつかましくするのがよい。電話で10分だけ話すのでも、じゅうぶん生きるモチベーションをつなぐことになります。話のあわない人でもよい。あう話だけしていればいいのです。かなり人生観の異なる人でも、クラシック音楽のオタク話なら、じゅうぶんに通じ合える人はいます。人生相談に乗ってくださる方もあるし(とんちんかんなアドバイスでもぜんぜんOKです。とにかくそのかたは、私のためを思って言ってくださっているのですから)。じつは先方もなかなかたいへんな状況にあることもあり、お互いに励まし合いになることもあります。ひとは、一人ひとりかなり違いますから、ぴったり重なる人はいませんが、重なる部分で話せばよい。メールを送るのも、返信がない人は気にしない。お忙しいのかもしれないし、いろいろ事情はおありでしょう。返信のある人だけ、喜んで相手にしていただく。もちろん、めんどくさいですよ。でもこっちからメールをしているのに、めんどくさがっちゃダメです!罰当たりな!(笑)むこうも、めんどくさいなか、返信をくださっているのですから、喜んで返信します。これは、人間関係ですから、コントロールはできません。2人の関係にしても、半分は相手のものです。というか、人間関係ですから、2人のあいだにあるというか。私も2月の中旬くらいまでは、どうしようもなかったわけです。しかし、2月末から、はっきり生活に安定感が出たのは、週一で1時間の話をすることになっている遠くに住む若い仲間との電話の内容が明らかに安定してきたことに如実に(客観的なデータとして)現れています。

 そのほか、週に2度、パソコン教室に通うことになりました。ワードやエクセルは、ゼロからきちんと習ったことはないので、バカにせず、きちんとゼロから学んでいます。障害者むけの福祉施設です。私のような、仕事に就いているけれども、休職している人も対象です。これも手に職をつける以上に、生きるモチベーションを保つ意味合いが強いです。テキストは、いまエクセルの基礎をやっていますが、まさに「ゼロから論理的に書かれた教科書」で、私向けです。(空気で教える本ではなくて、論理的に、読んでいく順にあたまに入るテキスト。)

 それから、これも驚きみたいな話ですが、あるキリスト教出版社のかたから、記事を書きませんか?というご依頼をいただきました。ライターとしてデビューすることになったのです。これも、生きるはりあいという意味合いが強いですね。タイトルとプロフィールを決め、サンプルとして私のnoteの記事の、スキが多めなものを機械的に35本(サンプルとしては多すぎですが、これは私の障害特性です。すべて説明しないと気がすまないという。ある人が言っていましたが、私みたいなタイプは、説明しすぎか、逆に、はしょりすぎになる。その原因は同じで、つまりどこをはしょってもいいのかがわからない。空気が読めないということです)をお送りしたところ、そこからチョイスされて、おととい、連載が始まってしまいました。このnoteの記事に基づいていますので、ご覧になりたいかたには、どうぞご覧くださいというほかありませんが、「クリスチャンプレス」というインターネットの新聞の、「コラム・連載」のなかの「発達障害クリスチャンのつぶやき」という連載です。(「発達障害」は入れなくてはならない感じでした。発達障害という言葉は、世の中で飽和していますし、そのわりにちゃんと理解している人は少ないし、そこで「発達障害」という言葉を連載名に入れるのは世の流れに乗っかる形になります。また、障害者になって、正確には障害者と認定されて、「障害とは振りかざしてはいけないもの」ということを学びましたが、売れるためにはしかたがないようです。学歴も振りかざしています。)週に1,2度の更新らしいです。

 とにかく、生きるはりあいが、増えて来ています。休職から1年、こういう展開は予測できませんでした。今後、どうなるかわからないものもたくさんあります。マニアさんとの文通、さまざまな人とのやりとり、パソコン教室にせよ連載にせよ、どうなるかわかりません。でも、いまの私にできることは(福祉の窓口には何度も行き、いまの私にできることは、食べて寝ることだけなのはわかっています)、食べて寝るだけの生活に、どれだけはりあいを持たせられるかということ、そしてそれは、自分の力では無理で、だれか他人とつながらなくてはならないこと、そして、「他人」というのはコントロールできない人ですから、思い通りにはならないこと…。(最近、ブックオフで見た本で、人生指南書でしょうか、「すべての人間関係をコントロールする」「高いパフォーマンスを出す」といった言葉が表紙に踊っている本がありました。みなさん、そういう本にだまされてはいけませんよ。上にも書きましたが、人間関係がコントロールできるはずはないのです。出会いってそういうものでしょう。高いパフォーマンスを出さないといけないような気がするのも気のせいですよ。)

 そんな日々を送っています。こんな文章も、どなたかに届くといいなあ。うまく伝わるかなあ。(うまく伝わらなくてもいいんだよね!ひとはさまざまですから。その35本というのも、へたな鉄砲みたいなものでした。私のnoteも、へたな鉄砲を数打って、当たればそれでよいみたいなところがありますから…。つまらなかったらスルーしていただければいいのだ!でも、私の生きるはりあいにつながりますから、ちょっとでもおもしろかったら、スキしてくださいね!それだけで、励まされます!)以上です!

いいなと思ったら応援しよう!