シューマンの交響曲とサヴァリッシュの思い出
学生時代のある日。渋谷の街をうろついていました。
友人に偶然、出会いました。
じつは、東京というところは、とても人口密度が高いため、普通は、「渋谷をうろついていて、知人に会う」などということは起こりません。
それだけでもまれですが、その友人は、たまたまNHKホール(渋谷にあります)でこれから行われるN響(NHK交響楽団)の招待券を2枚、持っており、しかもいっしょに行く相手がいなかったとのことでした。
これは相当、まれな話であるため、喜んでついていきました。
学生時代にN響の定期演奏会をよく聴いた話は、何度か書いていると思います。私も東京を離れてだいぶたちまして、地方の人には東京のオケはどのように見えているか、ちょっとわかるようになりましたので、少しご説明いたしますね。東京には、たくさんのプロオケがあります。(私が学生時代のころ9つ、いまはもう少し少ないかもしれませんが。)そのうち、地方においてもN響だけが突出して有名なのは、明らかに、N響は放送オーケストラであって、全国放送されているからです…。というわけで、東京にはいろいろなオーケストラがありましたが、NHKホールでのN響の定期演奏会は学生席がとても安く、大学からも近かったので、ひんぱんに聴きました。もちろんいい席ではありませんが。しかし、このときの招待券は、さすが招待券で、NHKホールの「いい席」でした。こんなにいい席でN響を聴いたのは、このときが唯一の機会でしょう。
プログラムはオール・シューマン。「マンフレッド」序曲、交響曲第4番の初稿、交響曲第2番、指揮はヴォルフガンク・サヴァリッシュでした。サヴァリッシュのシューマン・チクルスのうちの1回でした。サヴァリッシュの指揮を聴いたのも、これが唯一の機会となりました。こんなに間近にN響を見た機会も少ないです。トロンボーンのかたが、タチェット(全休止)のときも、ずっと音楽の流れに乗っておられるようすなど、よく見えました。あと、あまりよくない印象を書くのもどうかと思いますが、第2ヴァイオリンの後ろの方(左右にヴァイオリンを並べる配置でした)のかたで、明らかに、ひとり、やる気のない人がいました。見るからに明らかでした。そういう人って、どの組織にもいるものでして、私の大学院にも、もう数学の研究をやらなくなってしまって、いつまでたっても助教授のままで、なにもしない、人生を投げているようにしか見えない人がいたものです(その先生は、退任直前に教授になり、退任して名誉教授になられました。ほんとうは「不名誉教授」でしょうが、それではかわいそうということでしょう)。さて、演奏内容に入る前にこんなことを書いてしまいましたが、演奏はすばらしいものでした。マンフレッド序曲は、降り番でしたが私がいたオケがやったことのある曲でなつかしかったです。4番の初稿というものは、なんだか「4番の出来損ない」を聴かされているような、「へんてこな」曲という印象を持ってしまいました。いま聴いたら、どう思うでしょう。欲を言えば、協奏曲(ソリスト)が聴きたかったな、とか思いましたが、それは、これだけの偶然が重なってこの演奏会を聴けているのですから、文句は言えません。交響曲第2番もすばらしい演奏で、満足でした。
ただ、この演奏会を聴いて、強めた思いがあります。シューマンの交響曲の演奏の出来って、指揮者以上に、オーケストラに左右されるんじゃないの?ということでした。CDで言えば、ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団のシューマンの1番、2番はとってもよかったですけど、他のオケ(フィラデルフィア管弦楽団?)を指揮したのはそれほどでもなかったし。ラジオでやっていた、ヤノフスキ指揮フランス放送フィルハーモニーのシューマンの「ライン」はとてもよかったですけど、期待して買ったヤノフスキ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルのシューマン交響曲全集は、たいしたことなかった。オケのうまいへたではないようです。そして、サヴァリッシュのシューマン。CDでは、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したすばらしい演奏があります。しかし。このときのN響の演奏も、もちろんよかったのですが、シュターツカペレ・ドレスデンほどじゃあなかったなあ!生で聴いているのに!すごくいい席で聴いたのに!
というわけで、「シューマンの交響曲の演奏の出来は、指揮者以上にオーケストラが左右する」という信念を固めてしまう出来事でしたが、偶然に偶然が重なって、サヴァリッシュのシューマンが聴けてしまいました。私がシューマンの交響曲第2番がとくに好きであることにつきましては、リンクがはれずにすみませんが、「2つのハ長調交響曲~シューベルトの「ザ・グレイト」とシューマンの2番」をご覧くださいませ。「いっちょぐいとシューマンの「交響曲の年」」も、関連する記事です。以上です。