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行って、あなたも同じようにしなさい
私の若い仲間で、キリスト信者ではないのですが、勉強のために聖書をぜんぶ読んだことのある人がいて、彼は、「これを守っては生きられない(信者にはなれない。あこがれはあるけど)」というようなことを言っていました。でもそれを言ったら、信者である私も聖書など守れていないので、「敵を愛せ」などという極端な例を挙げるまでもなく、「いつも喜んでいなさい」もできないし、「感謝しなさい」も「互いに愛し合いなさい」も「人を裁くな」もできてない。聖書に書いてあることは、およそできないことばかりなのだ。
いわゆる「善いサマリア人のたとえ」の最後にも、「行って、あなたも同じようにしなさい」と書かれています。こんな人のように、隣人に尽くせるでしょうか。私は、開き直るわけではありませんが、できないと思います。でも、この箇所を生まれてはじめて読んだときの感動は、忘れがたくあります。
私は、キリスト教と関係のない環境に生まれ育ちましたので、キリスト教をまったく知らないで大人になりました。ひょんなことで教会と出会った私は、修士課程1年のときに、なかば強引に、教会学校のキャンプの引率をやらされ、そのキャンプで読まれたのが、「善いサマリア人のたとえ」で、私が、この話と出会ったのは、このときなのです。
なんという親切な人の話だろうと、心底、感動しました。私は、そのとき大学院生です。小さい頃から、人並みにではありますが、いわゆる子供向けの世界文学全集のごときものは読んできました。「ああ無情」も「巌窟王」も、「ニルスの不思議な旅」も。でも、こんなに親切な人の話は、23歳になるそのときまで、まったく読んだことがなかったのです。このことが教会で語られることが少なすぎると思って、強調しています。追いはぎに襲われ、瀕死の見知らぬ人を手当てして宿屋へ連れて行き、介抱し、翌日、お金を払って宿屋の主人に、「この人を介抱してください」と言った。そして、「費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」とまで言った。こんな度外れて親切な人の話は、聞いたことがない!
よく、この箇所が読まれたときの説教とかで、「きょうはみなさんもよくご存じの『善いサマリア人のたとえ』ですが」などと話す説教者がいますが、ダメですよ。はじめて聴いている人もいるかもしれないじゃん!この話が、どれだけ親切な人の話か、忘れてはいけない。聖書の読みすぎはいけません。そしてなにより忘れてはいけないのは、これはイエスから「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われていること。
ここまでお読みくださりありがとうございました。