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全数調査と標本調査
こんにちは。いま、遠くに来て居候生活をしてますが、たまには関係ないことも書きたくなりました。
中学数学のおさらいだと思いますが、全数調査と標本調査です。
(こういう統計が教えられるようになったのは、比較的あたらしい話ですので、一定年齢以上のかたはご存知ないことも知っています。数学の苦手だというかたにも、なるべく通じるように心がけて書きたいと思います。)
全数調査というのは、対象をぜんぶ調べることで、標本調査は、一部しか調べないんですがそれで全体の傾向をつかむことです。例を挙げたほうが早いでしょう。いっぱい、例を挙げたいのです。
いまやってる、国勢調査は、全数調査ですね。全員、調べています。一方で、テレビの視聴率は、標本調査ですね。すべてのテレビを調べているんじゃなくて、ごく一部のテレビしか調べていませんが、それでもう傾向はわかるわけです。
選挙の投票の開票も、全数調査ですね。すべて開票します。でも、一部を開票すればだいたいの傾向はわかるので、開票率1%でも、当選確実はわかるわけです。でも、全部、開票しています。ですから、出口調査っていうのは、標本調査ですね。
よく例に出されるのは、味噌汁の味見は標本調査だ、という話です。ごく一部を飲んだだけで、濃すぎるとかうすすぎるとかわかるわけです。(味噌汁の味見を全数調査したら、全部、飲まなければならなくなって、それはもはや味見とは言えない笑)
あるお店の料理も、全種類、食べてみなくても、何種類か食べてみて、その店がおいしいかそうでないかを判断するのは、標本調査ですね。その店のメニューを全種類、食べてみてから、その店がおいしいかどうか判断する人は、全数調査してるのです。
「テスト」っていうのも、標本調査ですね。教わったことすべてを問われるわけではありません。教わったことのごく一部を問われて、それで、理解度をはかられるわけです。
ある作家の作品を、全部、読んでから、その作家を判断する人は、全数調査をしていると言えるでしょう。何冊か読んで判断するほとんどの人は、標本調査をしているのです。どっちがいいとか悪いとかは言っていません。例を挙げているだけです。
(聖書をぜんぶ読むのが趣味の私は、聖書の全数調査をしていますが、多くの人は、聖書は一部を読んで全体を判断しています。これも、どっちがいいとか悪いとかではありません。空気の読める多くの人は一部だけ読んでもわかるところ、私は空気が読めないので、聖書をぜんぶ読んで判断しようとしているのかもしれません。)
ですから、人を判断するときも、ほとんど標本調査をしていると言えそうですね。その人の一部の発言を聞いただけで、その人が信用できるかどうかを判断しているわけですからね。その人のすべての言動を調べることはおそらくできないでしょうからね。
私も、ダメなところの多い人間ですから、私のダメなところをいくつか見た人は、私のすべてをダメと判断するので、悲しくなることがあります。腹ぺこの発言だというだけで、もう一切、聞かれないわけですから。そういう経験をなさったかたは多いでしょう。逆に、私の良いところをいくつか見て、腹ぺこさんはいい人だ、という人も、一部しか見てないのですが、これは世の常であって、逆らったり避けたりすることはできないと考えられます。
私は、今まで来たこともない町に来ています。はじめての町に来て、会った人の印象で、「この町の人はいい人だ」と判断するのも標本調査ですが、これは標本調査は向いていないですね。いろいろな人がいるわけですから。ただ、なんとなく傾向はあるかもしれません。イタリア人は女好きとか、京都の人はどうだとか。あまりこういう例を挙げていると特定の町の悪口がいくらでも出てきそうですので、このへんでやめますね笑
例を挙げるだけで「全数調査」と「標本調査」を理解していただこうとしていますが、なんとなくなにかが伝わったらありがたいです。私の話に落ちはないですよ。ほんとうに、この記事は、「全数調査」と「標本調査」について、わかってもらおうとしただけの記事ですから。
拍子抜けするかもしれませんが、本日は以上です。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。