たのしかったキリスト教学校事務職員研修会
一昨年、私は、あるキリスト教学校の事務職員をしておりました。一昨年(2019年)の夏休みごろ、キリスト教学校の事務職員の全国的な研修会がありました。自分から行きたいと言って、行ってきました。これは「嫌々来させられている」事務職員も多いと思われるなか、私は自ら希望した「ガチの」信者でした。2泊3日の研修会でしたが、非常におもしろかったです。コロナの流行る前です。
そもそもが、「普段の忙しさを忘れて、しばし楽しみましょう」という会であり、たのしい合宿みたいな会なのでした。まず会場に集まってみると、静かにゴスペルが流れています。その雰囲気からして、いい意味で予想を裏切り、たのしい2泊3日になることを予感させてくれるものでした。最初に、アイスブレイクというか、100人くらい集まった全国のキリスト教学校の事務職員のみなさんと、自己紹介(あとでビンゴで使う)をしながらあいさつをしました。私は中高の事務職員でしたが、8割以上は大学の事務職員のかたであり(よく考えてみるとそうですよね)、たとえば北星学園大学の事務職員のかたとお会いして「山我哲雄先生!(北星学園大学にいる旧約聖書の有名な先生)」と言いますと、もちろんご存知であるわけです。「山我先生の授業を取りました!」というかたもいて、要するに母校に事務職員としてお勤めであるわけですね。
10くらいのチームに分かれました。われわれは、小中高の事務職員のチームになりました。小中高の事務職員のチームは、あとひとつありました。いろいろな話をしました。事務職員といってもさまざまで、遠足の引率までしている事務職員のかたもいました(私の勤務する学校では考えられないことでした。私のところでは事務職員は事務に特化しています)。小学校であれば給食の話、中高であれば制服の話など、出ました。私の勤める学校の制服は、かなり評価が高かったことが印象的でした。
キリスト新聞社の松谷信司さんと、牧師の関野和寛先生が3日間ずっとおられ、われわれに付き合ってくださいました。関野和寛牧師の開会の礼拝メッセージでは、いきなりギターを弾きながら歌い始まってしまうというもので(関野先生はバンドマンでもあられます)、一同は度肝を抜かれました。もっとも私のように信者であると、そういう「突拍子もない」牧師がときどきいることはかえって知っているので、それほど驚かないのですが、それは、ほとんどキリスト教を知らない事務職員のみなさんをびっくりさせるのにじゅうぶんだったと思います。関野先生は、3日間、ずっと礼拝のメッセージをしてくださいました。私は関野先生にお会いするのも、説教を聴くのも初めてでしたが、その見た目の奇天烈さとは違って、ちゃんと中身のある、良心的な牧師であるという印象を持ちました。
松谷信司さんにお会いしたのも初めてです。松谷さんの講演では、「ガチ勢」よりも、みなさんのような「にわか」(エンジョイ勢)のほうが、将来のキリスト教学校にとって可能性があるのだ、というようなことをおっしゃったと思います。どうもあやふやな記憶でこういう記事を書いていてすみません。もっともそれで言うと、私は「ガチ」のほうに入るわけですが…。われわれ小中高のチームでは、ほとんど女性で、男性は私ともうひとり若いかた。女性がみなさん「エンジョイ勢」(非信者)で、男性ふたり(私と彼)が「ガチ」(信者)でした。松谷さんのお話で、自分の学校をエゴサーチしてみることのすすめがあり、私も後ほどやってみましたが、なるほどうちの学校で在校生も卒業生も保護者も、唯一、みなさん肯定的に書かれるのは「制服」でした。やはりよほどいい制服らしい、という認識を新たにしました。
私が、短い事務職員経験からチームのみなさんにしゃべったことがあります。電話を受けているとき、礼拝について聞いてこられる女性がいたのです。どうやら、うちの学校に入学を検討している、イスラム教のご家庭のお母さんでした。つまり、「礼拝は出なくてはいけませんか」「聖書の授業は受けなくてはいけませんか」というご質問でした。私は、必修ですので受けていただくことになりますとお答えしました。つぎにお母さんは、十字は切りますか、と聞いてこられました。あの、手を上下左右に動かす祈りのことですが、じつはそのお母さんのお子さんが別のキリスト教学校を志望したところ、そこは必ず十字を切らねばならない学校で、それはイスラム教的にアウトであるらしく、その学校をあきらめた経緯があったようなのです。うちの学校に十字を切る習慣はありませんでしたので、十字は切りませんとお答えしました。それから、そのころ、確かうちの学校では、すでに在校生でイスラム教の生徒さんがおり、昼休みに別室でお祈りしていることも聞き知っていた私は、本校にはすでにイスラム教の在校生がいます、お昼休みのお祈りの部屋もご用意しておりますと申し上げたら、心底、安心なさった様子で電話が切れました、というそういう話をしました。これは話題となりました。他のメンバーで、こういう電話を受けた人はいなかったからです。(じつはあとから調べたところ、うちの学校の在校生にイスラム教の生徒さんがいたことは間違いなかったですが、お祈りの部屋のご用意と言っても、雨漏りのする物置みたいな部屋を昼休みにその生徒さんのために貸しているだけであることもわかりました。しかし担当の先生によると、その生徒さんはたいへんにありがたいと言っているという話でした。お電話のお子さんがその後、入学されたかどうかは知りません。)給食のある小学校では、イスラム教の生徒さんなどは、食事はどうするのであろうか。これは、アレルギーのお子さんと同じようなことで解決しそうに思われました。アレルギーのお子さんのためには、事前に一か月ぶんの献立表を保護者に配り、チェックしてもらい、それでそのお子さん用のメニューを作る、ということを勉強会で聞いて知っていた私は、おそらく同様の方法によって、イスラム教では食べてはいけないものを避けた給食のメニューはできるだろうと考えました。おそらくそれでいいのだろうと思います。
朝には体操があり、次の日の午前中にはゴスペルシンガーのかたのライヴもありました。ここで、ご存知ないかたへのちょっとした豆知識を言いますと、「ゴスペル」という言葉は、日本語ではもっぱらゴスペル音楽の意味で使いますが、英語で「福音(ふくいん)」もしくは「福音書(ふくいんしょ)」を意味する言葉であるということです。これ、中高の英語の教員でもしばしば知らないことです(中高の範囲を超えているのでしょうね。範囲外だととたんに知らないのは、数学の教員と同じ)。ちなみに、ドイツ語では「エヴァンゲリオン」と言います。これも日本だとアニメしか想像なさらないかたがほとんどではないかと思いますが。とにかくゴスペル・ソング(福音歌)を聴きました。
午後は、ワークショップで、「理想の、夢のようなキリスト教学校を作る!」というものでした。われわれのチームは、たくさんキリスト教の行事を取り入れた小中学校を作ることになりました。「牧師ROCKS小中学校」という名前で(「牧師ROCKS」は、関野牧師のバンドの名前)、「聖書を使わないキリスト教教育(キリスト教のオイシイとこだけ!)」という学校でした。生徒のキリスト教関連行事に対する「やらされてる」感をなくしたい!キリスト教に興味を持ってもらう様々な切り口を用意したい!99%のエンジョイ勢のあなたたちに贈るキリスト教教育!というふうにしました。字のきれいなかたが書かれました。その下に、絵のじょうずなかたが、関野牧師の似顔絵(少し美化したもの。笑)を描き、しかも瞳のうちのひとつはQRコードになっているという凝りかた。
牧師ROCKS小中学校の1年の行事は、以下のようです。
4月 イースター イースターエッグ作り 教師によるイースターバニー 学年交流エッグハント
5月 ペンテコステ 鳩サブレーで学ぶペンテコステ 母の日
6月 花の日 4月から育てた花を持って福祉施設などを訪問 父の日
7月 たなばた 日本文化への理解を深め、海外への協力校へ日本文化を発信する
8月 平和学習の日 「いのち」と「平和」を考える日。
9月 バザー 文化祭 牧師ROCKS小中学校オリジナルグッズを販売→収益は献金へ
10月 ハロウィン 聖書の登場人物に仮装しよう!→ベスト・オブ・○○(イエス、マリアなど)を決めよう‼
11月 召天者記念礼拝 収穫感謝祭 敷地内で育てた野菜でカレーを作り、地域の人にふるまう(献金をいただき社会福祉へ)
12月 アドベント&クリスマス 関野校長サンタによる通知表配布 クリスマスカードやリースの作成
1月 音楽発表会 「ハンドベル」「ゴスペル」をクラス毎に発表 成人礼拝→OB、OGを母校へ
2月 バレンタイン チョコを持ち寄り施設訪問 カーニバル(謝肉祭) クラス対抗ダンス大会
3月 レント(福祉の日) 自主的な福祉施設訪問 ボランティア活動
こんな感じですが、少し注を書きますね。ペンテコステの鳩サブレーについて。チームのなかに、鳩サブレーの本場である鎌倉の学校の職員がおられ、その学校では、ペンテコステに鳩サブレーを食べると聞いたから入ったアイデアです。聖霊は鳩だから。もっとも使徒言行録2章によれば、ペンテコステにくだった聖霊は、鳩ではなく「炎のような舌」ですが、そこはエンジョイ勢向けですから細かいことは言わないです。それから、8月の平和学習。これも、チームに長崎の学校の職員のかたがおられ、そこの学校では、長崎原爆の日を登校日とし、平和学習を行なうと聞いたので、それがヒントになっています。1月の成人礼拝も、成人礼拝というものを実施している学校の職員さんから聞いたアイデアです。
これは、かなり気に入りました。なぜなら、私の言ったことがかなり通ったからです。つまり、私は職場で、ダメ人間として通っていて、私の言ったことはことごとく通らないという経験ばかりしているので、この会で、こんなに私の意見が通ったということは、かなりうれしかったのです。たとえば、7月の「たなばた」は私が最初に言ったと思います。これは、「7月のキリスト教の行事って何が考えられるだろう」とエンジョイ勢のみなさんが考えておられるので、出しました。キリスト教と関係なくてもよい、と思えるのは、逆に私が「ガチ勢」だから出る発想だと言えると思います。このほか、「文化祭」というのも、教師の経験がある私だから出たアイデアだと思いますし、「ハロウィン」「バレンタイン」「カーニバル」も私が言いました。これも、「世間ではなんとなくキリスト教というか、外国の文化だと思われているだろう」というものを積極的に言ったので、私がガチ勢だから逆に出たアイデアと言えるかもしれません。とにかく、普段の私とは違って、自分のアイデアが「生かされる」という経験だけで、私はとてもうれしかったのです。そして、たのしかったです。ガチでない女性の職員のみなさんも楽しんでおられました。ガチの彼も。
2日目の最後は、立食パーティでした。とにかく、この研修会は、おたのしみ会だったのです。ビンゴ大会があり、盛り上がりました。みんな、関野牧師と仲良くなっていました。鮮烈な印象として残っているのは、ある学校の若い女性の職員さんで、なんと自作の歌を、ピアノを弾きながら歌ったのです。かなり本格的なシンガーソングライターのたまものを持った女性でした。関野牧師はちょっと嫉妬した?関野先生は、午前中のゴスペルシンガー(この人も自分で歌を作って歌う。ちょっと売れているらしい?かた。お名前を失念しています)にもちょっと嫉妬していた様子だったので、自分より音楽のできる人にちょっと嫉妬するのかな?関野先生の、いい意味での人間っぽい姿が見られてよかったです。そのあとに、キャンドルサービス(ろうそくをともしての礼拝)もありました。
ここで、関野先生の礼拝メッセージについて、覚えている限り書きます。関野先生は、そのちょっとエキセントリックな第一印象とは違って、説教はまともなもので、しかも、ほとんどノンクリスチャンであったと思われるこの会において、ちゃんと伝わる言葉を持った、力のある牧師先生でした。いくつか覚えている話は、いずれも私があとで質問に行ったものです。まず、ルカ23章の十字架につけられて、2人いる犯罪人のひとりがイエスをののしり、もうひとりの犯罪人が、イエスに「御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言うと、イエスが「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言う話。関野先生のお話はオーソドックスで感銘深い話でしたが、私はあえて礼拝後に質問に行きました。ののしったほうの犯罪人は救われるのですか?これはののしったほうの犯罪人が気になります、と。(前からこれは気になる話でした。)関野先生は、こちらの言いたいことが伝わると、ちょっと虚を突かれたような表情をしてから、そうだよね、この人、ののしりで人生が終わるからね、でもキリストはこの人も救ったと思うよ、と言ってくださいました。(脱線。この話が気になる人は私以外にもいるのでありまして、のちに奥田知志牧師の説教で、「この『あなたはわたしと一緒に楽園にいる』という言葉は、最初にののしったほうの犯罪人、『お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ』と言った、自業自得のダメな犯罪人のほうに向けられた言葉ではないか」というものがありました。奥田先生、ついに著者であるルカさんの意図も超越なさいましたね!でもその話、好きです。脱線終わり。)つぎの礼拝、確か2日目のキャンドルサービスのときですが、マタイ25章の「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」という箇所での説教でした。ご自分の経験ともあわせて、やはり感銘深い話を聴かせてくださいましたが、私はまた礼拝後に質問に行きました。すぐ後に出る、「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と言われて永遠の罰を受ける話は恐ろしいのではないかという質問です(これも前から気になっていました)。関野先生は、これは、キリストが、もししてくれなかったらこうなるぞ!って、思わず勢いで言っちゃっただけの話だと思うよ、とおっしゃいました。その解釈、最高なうえにまともです!最終日の説教は、ヨハネ3:16の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という箇所でのメッセージでした。礼拝後の私の質問、「信じない者は滅びるのですか」については、もはやネタとなっており、関野先生は笑いながら、みんな救われると思うよ~!と言っていました。こうやって振り返ってみると、関野先生は、オーソドックスな聖書の箇所でオーソドックスな話をなさり、なおかつ信者でない人に伝わる言葉を持っている稀有な牧師だ、ということ、そして、あらためて聖書っていうのは、暗黙のうちに「信じない者は滅びるよ」と言わんばかりの箇所が多いな、ということですね。
さて、最終日の、それぞれのチームの発表の時間になりました。それぞれのチームが、思い思いの「夢のようなキリスト教学校」を描いていました。われわれのチームの発表は、入賞こそしませんでしたが、個人的には、最もよい発表であるような気がしました(それはおそらく自分の意見がたくさん盛り込まれたからですね)。みなさん、松谷さんとも関野先生ともすっかり親しくなり、全国のキリスト教学校の職員が親しくなり、松谷さんのキリスト新聞社のグッズ(書籍や、カードゲームなど)、関野牧師のグッズ(書籍や写真集など)も買い求めていました。極めて楽しかったです。
最後に余談みたいなのを付け加えますが、それから1週間もしないうちに、私の住む町で「いのフェス」(いのり☆フェスティバル)というイベントがあり、子どもと行ったところ、また松谷さん、関野牧師と再会しました。おふたりとも私を覚えていてくださり、関野先生は、自分の出番の前に、客席にいる私に気づいて近寄ってきて「このあいだのかた?」と言いました。およそロッカーっぽくない言いかたで。とにかく覚えていてくださってありがたかったです。以上です!