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「トー横キッズの正論」の根拠

以下のようなツイート(ツイートとは言わないのか。まあいいです)を見ました。「勉強しろっていうけど、勉強して偉くなった人が作ったのが今の日本社会でしょ?じゃあ勉強なんてする意味ないね」。たくさんの「いいね」「リツイート」そして「コメント」があり、コメントをよく見ると、ほとんどは「お前は勉強しろ」みたいなものばかりですので、東大へ行って、少しはどういう人が日本社会を作っているのか知っている者として、トー横キッズさんの「弁護」をしたいと思います。

私が東大に入ったのは30年前であり、少子化などという言葉はなく、たくさんの子供がいました。東大に入ると、同級生の10割が東大生になります(すごい状況でしょ)。そして、直観したのは、彼らのうち4割から5割くらいは、受験テクニックだけで要領よく入って来た人たちであり、東大としては取りたくなかった人たちだな、と思えたことです。彼らは入ってすぐに線形代数学や微分積分学でつまずき(イプシロン-デルタ論法みたいなのについていけず)、落ちこぼれたものです。

では、そういう東大に入ってすぐ落ちこぼれた人間がずっと落ちこぼれているのかと言いますとさにあらずで、彼らはじょうずに単位をそろえて進振り(進学振り分け)を乗り切り、じょうずに就職して、じょうずに世の中を渡るのでした。私のクラスに、理系で7番に受かったやつがいましたが(何千人も受かる東大入試で7番はなかなかふるっています)、彼は「シケプリみして~」とへらへらしながら言うやつでした(シケプリとは試験対策プリントの略でした。いまはなんというのか)。理学部数学科を卒業して、総務省に勤めたり、国土地理院に勤めたりする仲間もいました。そういう中央省庁に勤めた仲間もいるのですが、例を1個だけ挙げます。学者になった1個下の仲間です。

別の用事で数年前にメールをしたときの話です。彼は名門の大学教授でした。大学の先生は名前とメールアドレスまる出しなので連絡が取りやすいです。彼はさっそく仲間の東大卒にメールをし始めました。「東大生といえば要領のよさだけど、ぼくは最近、事務手続きが鈍ってきました。皆さんはいかが?また飲みましょう」と書いていました。これは文字通りとってよいです。つまり、彼は要領のよさだけで東大に受かり、要領のよさだけで大学教授になり、飲み会のことしか頭にないのです。これを「いかとう」と言います。「いかにも東大」。こういうやつはうなるほど見て来ました。

行政でどれだけ制度を考えている人が賢くないかを、これもひとつだけ例を挙げます。生活保護という制度です。これは厚労省かな。生活保護は、ぜいたく品は手放さなければなりません。それで、パソコンは生活必需品なので別扱いで、車はぜいたく品として基本的に所持が認められていないのです。ふしぎな制度だと思っていました。私の田舎のほうに行けば、車は生活必需品であり、車がなければ生活できなかったりします。また、生活保護というのは脱却が目標だったりしますので、仕事をする上でやはり車は必要だったりします。なんでこんな制度になっているのか、あるとき、非常に単純な理由に思い至りました。

東京の人が決めたルールだからです。なるほど、東京ならば、パソコンは生活必需品で、車はぜいたく品ですね!

このように、自分は生活保護を受けたことのないような(そして田舎の生活が想像つかないような)人が、生活保護の制度を決めているのです!トー横キッズの言うとおり、たくさん勉強して、偉くなった(愚かな)人が現在の日本社会を作っている!

というようなわけです。彼らは先述の通り、40代にもなると、もうボケています。私のように46歳(昨年)で、キャリアなし、無職、障害者で社会に放り出され、こうして曲りなりにも自営業で回す能力はありますまい。ほとんどは東大を出ていることを振り回すしか能のない、人生のピークが東大に受かった18歳のときである人間ばかりです。私は実際に見て来ました。こういう連中がいまの日本社会を作っているのです。トー横キッズのような、人生の裏側ばかりを見ている人に見えているものは見えないのです。「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選」(新約聖書コリントの信徒への手紙一1章27節)んでいるのです。

(もっとも私が東大に受かれなくなるほど東大もバカではありませんけどね。私のようなタイプも東大には受かるのですね。)以上です!反論おしまい!


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