「全力」ってなんでしょうね
私はかつて自費出版で本を出したことがあります。全力を出して書きました。それから3年がたちます。最近、「もしかしたら2冊目が出るのではないか」という話が出ました。話が出ただけで頓挫しているのですが、私は編集のかたに「前の本を超えるように全力を出します!」と言いました。編集のかたも「前の本を超えられるように全力でサポートします」と書いてくださいました。しかし、「全力」とは何でしょうか。私には「全力」というのは少なくとも「全身に力が入っていてガチガチになっている」ことではないと気がついています。
過去の日記に出て来る話です。およそ12年前の日記です。私はそのころ、中高の数学の教員でした。深夜の職員室で、ある若い(当時は私も若かったです)2人の教員がしゃべっていました。片方は同い年のある程度ベテラン(私は大学院博士課程まで行ったので、年齢のわりにはキャリアがありませんでした)、もう片方はほんとうに若い新人さんでした。その2人の会話は、まるで私に行っているみたいに聞こえた、と当時の私は日記に書いています。
つまり、その2人の言っていることは、「腹ぺこくん、全力でやらなくちゃダメだよ。それは生徒に見られているよ。きみが全力でやっていないことは、生徒は見ているのだよ。だからきみは生徒になめられるのだよ」と私を諭しているように聞こえたと当時の私は日記に書いています。そして、たしかにその若いほうの教員は「全力」でした。おそらく私を軽蔑していたと思います。やたら学歴が高いだけで、全力を出さずに手を抜き、それで生徒になめられているダメ教師。私は日記に、真剣に反省する言葉を書いていました。
しかし、いま考えると私は「全力」だったのでした。私の最大の特徴として「およそ本気でやっているようには見えない」というものがあります。小さいころからそれでどれほど叱られてきたかわかりません。たったいまの私でさえ「すべて遊んでいるように見えながら、あらゆることを本気でやっている」のは確かです。私は幼少のころ年賀状に「いっしょうけんめいがんばります」と書きながら自分の限界を感じていました。しかし、私は「いっしょうけんめいがんば」っていたのです。あまりに叱られるので、自分でも自分が「じつは本気でやっていること」にさえ気づかなかったのです。
お金と時間というものはふしぎなものであり、どれだけなくても「無駄遣い」の要素があります。「時間がない!」と言いつつ、こんなブログの更新はできたりするのです。お金も時間も「切り詰める」ものではありません。1食の額を徹底的に切り詰めつつ、しかしたまには食後に豪華なパフェを頼んだりします。「全力」というのも同様であり、「ぶらぶら遊んでいる時間がある」のも含めて「全力でやっている」と言います。ようやく私はそれに気づいて来ました。
「全力でやる」とは、そういうことです。その意味で私は「全力を出します!」と言ったのでした。