夜勤とステイホームと安息日
noteで、「7/14(水)AM2:00-4:00にnoteのシステムメンテナンスを行います。期間中はnoteをご利用いただけなくなります」と表示されますね。私は、先日の福祉の窓口で「夜勤」という言葉も聞きました。普通に明るい間の仕事をしていた私ですが、これからは夜勤もありうる。身近にも、夜勤で食いつないでいる非正規雇用の大変な人はいるし、べつに「非正規雇用の大変な人」に限らず、夜勤の人はたくさんいるので、そういう人のおかげで、多くの昼間に起きている人が支えられているということは感じるようになりました。
2020年2月27日、コロナの流行り始まりで、この日、安倍総理大臣(当時)が、突然、3月2日から小中高は休み!と言い出しました。私はその日の日記に、この調子で、あらゆる仕事が休みになるようになるだろう、しかし、電気を流す人や上下水道の人や、ゴミの回収の人は、休めないだろう、と書いています。われながらすごい先見の明だと思いますが(自画自賛)、実際そのあと、ステイホームとか、エッセンシャルワーカーとかいう言葉が出て来たのです。あれも、多くの人がステイホームするなかで、たしかにゴミの回収の人は働いておられましたし(この「ゴミの回収」を挙げていたのは、私のほかに奥田知志さんくらい)、下水道が流れなければ、われわれのうんちも流れないわけで、多くの人が働いておられて、あのステイホームの日々は成り立っていました。いまもテレワークで仕事が成立する人は一部であり、やはり「外で仕事をする人」に守られてテレワークやリモート会議が成立しています。
キリスト教では「安息日」というものがあります。ようするに日曜日のことで、日曜日は絶対に休むというものです。十戒に「安息日を覚えてこれを聖とせよ」と書かれています。私は東京で受験指導をしたことがないので、実感としてわかないのですが、東京の名門キリスト教私学は、日曜日は、部活も含めて一切、学校活動を行なわないのでしょう?学校のホームページに麗々しく書いてありますし、「サンデーショック」という言葉があるのですよね?すなわち、私もインターネットの情報だけですけど、私立中学の入試の日である2月1日が日曜日になると、キリスト教私学は、入試の日をずらすという。しかし、私はそういうのはすぐに形式主義になると知っているので、たとえば気になるのは、全校一斉停電を伴う修理や点検をいつやっているか。みんなが来ない日曜にやっているに違いない。学校の人は事務職員も含めて休んでいるかもしれないけれど、修理や点検の人が日曜に働いてくれているから、「安息日は絶対に休み」が成立しているのだろう。あと、警備ですね。警備の人は、365日24時間、学校を警備しているはずだから、当然、みんなが休んでいる日曜日も、警備しているのであろうと。それでもあなたたちは「安息日は絶対に休みます」と言い切っていいのか。日曜に働いていてくれる人のおかげで、日曜に休めるのではないか。警備の人はクリスチャンでも日曜に教会は行けないのであるぞ。(警備をしているクリスチャン、知っていますね。)
それで、あるとき、ある東京の名門私学に、匿名で電話しました。私も意地悪なのです。「お宅の学校は、安息日は必ず休むそうですね。日曜には部活も含めて一切の活動をしないそうですね」と言ったら、電話の向こうのかたは、さようでございます、部活も含めて一切の活動をいたしません、と堂々とおっしゃる。そこで、まず私は、第一段階の質問として、「部活の大会はどうしていますか?」と聞きました。部活の大会は日曜にあるはず。その学校は、全国大会も行かず、あくまで安息日はきっちり休むのであろうか。その電話に出た人は、まずこの第一段階ですでにお茶をにごし始めました。こちらは、全校一斉停電や、警備まで用意して臨んだ電話だったのに。
教会でも、礼拝後、近所のファミレスなどでみんなで食事していましたが、あれだって安息日の朝から働いて食事を作ってくれている人のおかげで、みんな日曜の礼拝後の食事ができていたのだ。日曜を休むというのは、日曜に働く人によって支えられています。
そもそもイエスはそういう形式主義は大嫌いな人で、安息日に病気や障害の人を癒やしていたりしましたが、教祖がそういう人なんですから、なにがなんでも安息日は休みます!っていうキリスト教私学は、形式主義ですけどね。(もっとも私がかつて教員をしていたキリスト教私学は、そういうのを守ることすらしない意識の低い学校でしたので、どっちがマシか、なんとも言えませんけどね。)以上で、夜勤とステイホームと安息日の話を終わります。みんなが休んでいるあいだに働いている人に支えられています。