終わりのないヨブ記
(きのう書いた記事とかなり重なります。この話だけ独立させたくなりました。きのうの記事をお読みのかたへ、重複はどうぞおゆるしください。)
旧約聖書に「ヨブ記」という書があります。これは「実際にあった話」というよりも「教訓的なフィクション」といった感じの書です。42章からなります。義人(正しい人)と呼ばれるヨブの物語で、「悪いことをした覚えはないのに、なぜか非常に理不尽な仕打ちを受ける人」の話です。1章と2章で、神様とサタンが天で会話をしています。神様が「お前はわたしの僕(しもべ)ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい」と自慢するとサタンは「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」と言います。神様は「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな」と言います。そして、実に理不尽なことに、ヨブはいきなりすべての財産と子供を失ってしまいます。さらに神とサタンの会話はエスカレートし、ヨブ自身は頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからされてしまいます。3人の友だちが見舞いに来ますが、あまりのヨブの変わりように絶句します。
ここまでがヨブ記の導入で、3章からヨブ記は詩文となり、なんと37章まで、ひたすらヨブの不平不満と友だち3人(ないし4人)のやりとりが続くのです。なぜヨブ記がこんなにたくさんの人に読まれているのか。それはきっと、みんな「なんでオレがこんな目にあうの?オレなんか悪いことした?」と思っているからでしょう。私も思っています。ヨブの言いたいことを一言で言うと「なんでオレがこんな目にあうの?オレなんか悪いことした?」ということに尽きるだろうと思います。あまりにヨブの神への不平不満が激しいので、3人(ないし4人)の友だちは、正論でヨブに反論します。えんえんとそのやりとりが続くのです。
そして、38章で、突然、神が現れます。そして、ヨブ記は最後に圧倒的なハッピーエンドで終わります。ヨブの病気は治り、ヨブは再びたくさんの財産と子供を持ち、長生きして亡くなります。
この、最後の唐突なハッピーエンドがあまりに取ってつけたようなので、ほんとうに取ってつけたのではないかという説も有力です。これは、あまりに救いのないヨブ記に耐えられなかった何者かが付け加えた結末だ、という説です。この説を支持する人も多いです。また、逆に、このヨブ記の唐突なハッピーエンドが好きだという友人もいます。
私には、最初のヨブ記を書いた段階でこの結末であったにせよ、これは誰かが付け足した結末であるにせよ、この結末を書いた人の気持ちがすごくわかるような気がします。つまり、ひたすら神への不平不満を述べたヨブが、最後に神によしとされる話にしたかったのでしょう。あつかましい人の勝ちというか。
私は20歳のときから日記をつけています。26年間つけています(いま46歳)。これは私の「終わりのないヨブ記」です。「私のヨブ記」は、いくら読んでも神様は出て来ません。後世の人がいずれ私の日記を読んだら、最後に神様を登場させて、圧倒的なハッピーエンドにしたくなるかもしれません。
旧約聖書の「ヨブ記」って、私にとってはそんな感じの書です。