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かなぐり捨てて

 以前、「あつかましい人、バルティマイ」という記事で書いた話ですが(リンクをはったり、埋め込んだりできなくてすみません。やりかたがわからない)、カナンの女というのが聖書に出て来ます(マタイ15:21以下)。娘の病気をいやしてもらうために、イエスに頼むのですが、なぜか無視されたり、かなりじゃけんに扱われたりします。しかし、女は、食い下がって食い下がって、あつかましくあつかましく、あきらめずにイエスに頼み続けて、ついに娘はいやされる、という話です。聖書に出てくるあつかましい人のひとつの例なので、挙げたのですが、これにコメントしたあるかたが、「私はカナンの女が好きです。プライドもかなぐり捨てて」とお書きになっていました。私はその書き方に少しだけ違和感を覚えました。

 よくよく考えてみると、以下のようなことです。すなわち、カナンの女本人は、「かなぐり捨てる」という意識はまったくない。そんなつもりはない。「あの人はプライドをかなぐり捨てている」という言い方をする時点で、本人ではなく、よそから見た人の見方です。私はこの記事で、本人の視点から見ている話をしていたので、そのコメントは、違和感があったというわけです。

 私の言わんとするところ、伝わりましたでしょうか?伝わらなかったかもしれませんね。ごめんなさいね。こういう話、伝わりにくいんですよね。私の説明がへたなだけなのか、それとも、それ以外の要因か。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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