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身近な人をコロナから守るために必要な、たった一つの考え方
新聞で気になった記事があった。
使命感を持ってコロナ感染に向き合う町医者の話。
コロナの感染拡大は1月半ばにピークアウトしているというものの、なかなか厳しい状況にあるようだ。
そんな厳しい状況でもできることをやろうとする医師の姿勢に胸が熱くなった。
ただ、残念なことにこの記事では、そんな医師に対して差別や偏見をむけた人のことを取り上げている。
記事を読んで考えたこと
私の身近なところにはまだ、感染したという話をする人はいない。
しかし、自分のすぐそばにこの病が迫ってきたら、やはりとにかく自分から遠ざけようとしてしまうような気もする。
差別や偏見を持つ人を擁護するつもりはない。
ただ、この病院の医師も、窓ガラスを割るという暴挙に出た人も、自分を含めた身近な人を守りたいという意味では思いは同じなのではないか。
両者の方向性が違っても「身近な人を守りたい」という思いが一緒であるならば、コロナ感染者が近くにいることを不安に思う人も少しだけ意識を変えたらよいのではないか。あくまで個人的な意見だが、私はたった一つのことを意識すればよいのでは、と考えている。
どう考え、どう行動するか
ガラスを割っていった人は、自分や自分の身の回りの人がコロナにかかったら困る、と思って行動したのだろう。
確かに、ウイルスそのものを自分から遠ざけたら、自分の身近な人を守ることになる。
ただ、地域の医院を攻撃してしまったら、いざ自分や身近な人がコロナに感染してしまった場合、行き先がなくなってしまうのでないか。
その結果、困るのは自分たちなのである。
もはや、コロナを遠ざけようとしたからといって、感染を避けられるとは限らない。そう考えた場合、地域の医療を守ることができているなら、自分たちが万一感染した場合でも、行き場がなくて困る、というリスクを抱えなくて済むのではないか。
自分たちの近くでコロナの心配がなくなったとしても、国内で感染が収まっていなければ、誰がいつかかってもおかしくないのだ。
実際、私の住む地域ではコロナはそれほど蔓延していないが、地域に住む人が利用する医療機関は街の中心部にあり、結局買い物や子どもの習い事やらで人の集まるところには行く。そして、その近くには感染して入院している方もいるし、そこに医療者もいてギリギリのところで頑張ってくださっている。
そう考えたら、地域全体、市町村、県、国全体でコロナがなくなっていくための努力をすることこそが、身近な人を守ることになるのだ。
そのために、必死で頑張っている病院を攻撃するべきではない。一緒に戦う同志として、医療機関を非難する対象としてはいけない。
視野を広く持つ
コロナウイルスは見えないし、病気自体も未知の部分が多いので恐ろしいと思う。
しかし、差別や偏見で医療従事者を追い込んでいるという話は他にも聞く。
未知なる感染症は恐ろしい。
ただ、自分の身近なところから遠ざけたら感染しない、というものではない。
そして医療従事者がいなければコロナとは戦えないのだ。
医療従事者を攻撃し排除するのではなく、感染者を増やさないことに意識を持っていたほうが身近な人を守ることにつながるのではないか。
今の時代、必要なたった一つの考え方、それは
医療従事者を排除しないこと。
身近な人を守るために、感染を広げない努力をすることはもちろん大切で、地域に持ち込まれることに恐怖を感じることは理解できる。
しかし、医療従事者を守って感染が少しでも早く収束する努力を一人一人がしたほうが、身近な人を守ることができるのだ。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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