なんの霊感もない私が、1年間占い師をやってみてわかったこと
人生で1年間だけ、タロット占い師をしたことがある。きっかけは、高校の文化祭で、「占いブース」を開いたこと。
何かお店をやってみたいが、モノを売るのは許可とか手続きがめんどくさい(例えば、食べ物だと保健所の審査があったり)。
加えて、原価も準備もほとんどいらない、という単純な理由で手を挙げた。
デザインの美しさに惹かれてタロットカードは持っていたが、時々シャッフルして、1枚めくってみて意味を読んでみる、という程度。
あわてて教本を買ってきて、1週間でカードの意味、鑑定法を頭に叩き込む。クラスでやった模擬店の一角に、黒い布で仕切った「占いコーナー」を設けた。鑑定料は、1回500円だったと思う。
そこで驚いたこと、学んだこと。
①悩んでる人がいかに無防備か
ただの同級生が突然、「占い出来ます」て段ボールの看板上げてるだけなのに、こんなに腹割っていいんかーい!と言いたくなるぐらい、みな無防備に自分をさらけ出す。女子だけではなく、男子も。これには本当に驚いた。
②「占い」と言いつつ、ほぼ、カウンセリングであること。
必要なのは「霊感」というより、地道な観察力と、話術。
もちろんカードは読むんだけど(初心者なので、すごく真面目にセオリー通り読んでた)、そこに今、目の前にいる相手からの情報を掛け算して、解答の流れをイメージしていく。
なにぶん同級生で顔を知ってる相手も多いので情報も多いし、「うまく行ってほしい!解決の助けになりたい!」と純粋に応援する気持ちがあったのも幸いしたようだ。
気がつけば「当たる」と行列ができていた。
不思議なもので、鑑定すればするほどカンが冴えてくる。話し出す前から相談内容も「こうじゃないのかな」と予想ができてくる。
幸い、私の高校時代はバブル真っ只中、日本が一番能天気だった時代。
家庭の問題や経済状況などにまつわる深刻な悩みはほとんど持ち込まれず、9割はたわいのない恋愛相談。
今のご時世なら、同級生の手には余る問題がたくさん持ち込まれて、半日たたずに根を上げていた気がする。
学園祭が終わった後も、評判を聞いて別のクラスの子や後輩が、昼休みにしょっちゅうやって来た。
流石にお金を取るわけにはいかないので、「ジャイアントコーン」を鑑定料がわりにいただいていた。
当時、私が一番クレイジーにハマっていた購買のアイスだ。
「あの、お願いします」と、ジャイアントコーンを真剣な面持ちで差し出す、知らない後輩(だいたい2、3人。なぜか1人では来ない)。
紙のパッケージをくるくる剥がして、むしゃむしゃ食べる私。
カツアゲしたみたいで感じ悪いんだけど、アイスだから、鑑定前に食べないと溶けてしまうのだ。夢中でコーンの部分を齧る私を、後輩とその友達は、神妙な上目遣いで待ってる。
いいのか、こんなヤツに託して。霊感ゼロだぞ?
受験勉強が本格化するまでの1年間だけの、素人占い師だったが、あの経験に学んだものは大きかった。
膨らんだのは、神秘的なものへの憧れというより、人間というものへの尽きせぬ興味。
クラスの人気者も、憧れの美少女も、みんなみんな弱いところがあるんだ。自分と同じなんだ。
自分ではどうしようもない運命に翻弄され、曲がり角を曲がったとこに待ち伏せてる未来に、怯えながら生きている。
あと、痛感したのは、ほんのちょっとだけ違う角度から見れば全然大したことではないのに、自分を抱きしめ過ぎて、大事にし過ぎて、逆に見えなくなることがあるんだなということ。
誰かから違う角度の視点をもらうって本当に大事だ。
もちろんアドバイスは真摯にしたけど、実は自分が一番学ばせてもらったんだと思ってる。500円、あるいはジャイアントコーン以上の報酬は得た。ありがとう。当時のみんな。幸せになってるといいな。