自転車の乗り方と生きるセンス

自転車に初めて乗れるようになったのはいつだっただろう。幼稚園か小学校1年か、それくらいだった気がする。乗れるようになるまで何度転けただろう。100回か、それ以上か。一度も転けずに乗れた人、いるんだろうか。いや、いるはずが無い。乗れるようになる為の練習を努力、なんて言葉使っただろうか。いや、使ったはずが無い。何の役に立つか、とか乗れた時の意味、とか考えただろうか。いや、考えたはずが無い。ただ、シンプルに乗りたいから、その気持ちだけで、何度転けようともトライした。

それから時は経ち、シンプルさを失ってしまったのはいつ頃だろうか。良い点数を取れば褒められ、悪い点数を取れば叱られる。何かトライして失敗すれば怒られる。そうやっているうちに基準が他人になり、他人に褒められる様な行動を取るようになった。自意識が過剰になり、周りの視線を気にして、恥ずかしい行動を取れなくなった。それを恥ずかしいと勝手に自分で決めてるだけなのにも関わらず。

大人が子どもに戻る必要がありそうだ、と気付いたのはいつだっただろうか。周りにいた魅力的な大人や楽しそうな老人は、皆んな決まって子どもだった。人間が成長する、なんて嘘なのかも知れない。あるとすれば成熟で、それはちょうど玉ねぎの皮をどんどん剥いていく様に、限りなくシンプルになっていく過程の中に存在するのかも知れない。子どもみたいな老人は、なんだか楽しそうだ。そんな老人になれるように考えて、また考えずに生きたい。鬱陶しい自意識なんか取っ払って、失敗とか成功とかにとらわれずに、ただトライしていく。そんな子どもの自分を取り戻したい。いつもその途上にいる感覚を覚えていて、そんな生きるセンスが欲しい、と感じている今日この頃です。

#雑感 #生きるセンス #店主 #散文


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