【雑感】無関心だと今の時代どうなるのか
今の時代、本やブログ、SNSなど『情報』はいくらでも得ることができますよね。
情報が人々の生活をより良くするのではなく、人が情報を上手く活用して生活をより良くするので、やはり人側から求めることに意味があると思います。
そんな中、ここ最近の傾向としてはいわゆる【無関心】が、顕著になり大きな弊害を生んでいるなと思っています。
情報が溢れすぎていて処理が追いつかないのか、何を求めたらいいのかわからないのか。
ただ、この無関心は好き嫌いよりも遥かに深い問題ではないかと思っています。
例えば、自分がお店をやっていて商品を売るとします。
お客さんには、まずお店のことを知ってもらわないといけないので、チラシや新聞広告を作ります。
仮に100枚チラシ(作成費2000円)を配ったとしましょう。お客さんとして来店してくれたのが2人だったら、1枚20円×2人=40円の広報費に対して、2000円の売り上げがあれば1960円の儲けです。
ですが、商品の開発費で500円かかっていたとしたら、1460円の儲けとなり、これを元手に次の新しい商品や広報費などを考えなくてはなりません。単純計算はそうなりますが、要は売り上げが立たないと赤字でこの先の投資=商品開発には繋がられなくなるわけですね。
ここで問題なのが、自分の商品が売れないのは外的要因のせいだと思考が陥りやすいこと。
以前、僕が従事していたまちづくり会社の仕事では、地方都市の商店街が衰退している課題を活性化させるためにいろんな事業を仕掛けるようなことをしていました。その中で商店街の店主に今の状況を見聞きしたのですがおもしろいことに、
あの頃はよかったねぇ
と口を揃えて言うわけです。
そう言う方は、今の状況に陥った要因を分析せず、対応できないまま昔のやり方でお店を営業しちゃってるんですね。
つまり、商品が売れないのは外のせいにしてるわけです。
今の時代、情報がものすごいスピードで駆け巡っていますが、情報を利用する側が無関心だと社会から置いてけぼりを食うことになり、ますます社会から乖離していく。
お客さんの情報収集力をなめない方がよいのです。
じゃあ老齢の店主が今からスマホをフル活用してやり方を変えられるのか。
答えはイエスです。
齢73歳の寿司職人が色んな人の協力を得て、SNSで家でも作れるレシピを公開し大きな反響を得ています。
先入観というのはとてもやっかいです。
僕自身も今のゲームはリアルすぎて逆にやりにくい。スーファミ世代なので。
しかし、時代の流れについていくことで見えてくるものは確実にあります。
結局、食わず嫌いだと損をしてしまうということですね。
過去の習慣に囚われて、今の新たな価値観を取り入れることに無関心では、今の時代を生きることはできない。
生きたいならば、今までのやり方を壊してまで、飛び込んでみるべきです。
読んでいただきありがとうございました!
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