亡き祖母からのギフトはギャル
11時過ぎに塾から帰宅して夕食と風呂を済ませると、勉強のために机に齧り付くのが、私こと、稲村いずみの日課だ。
今住んでいるのは祖母の家で、千葉の郊外にある古い一軒家。祖母は私が中学のときに亡くなり、母と二人暮らしをしている。
母は仕事から戻っていないので、家の中はとても静かだ。少し寂しい。
隣の部屋から、ガタンっと物音がした。
隣は祖母の部屋で、亡くなった後は仏間として使用している。
音が気になり襖を少し開けて中を覗くと、薄暗い闇に部屋は沈んでいた。左側に黒々とした仏壇と、正面の梁の上に、ねず色の着物を着た祖母の写真が飾ってある。
物が落ちた様子はない。
そういえば今日、ただいまの挨拶をしていない事に気づき、明かりをつけて座布団に正座した。 チーンっと、おりん叩き手を合わす。
「ただいま」
言葉の後に、憂鬱なため息が漏れる。
「おばあちゃん、最近お母さんとうまくいってないんだ」
私は仏壇の位牌を見つめた。
昨夜のことだ。塾の学力テストの順位が下がったことに腹を立てた母に酷く叱られた。
「……でも、私も頑張ったつもり」
言い訳がましい言葉が出ると、母は顔を赤くして私の頬を張った。
叩かれたのははじめてで酷く動揺した。手加減をしてるのか痛くはなかったけれど、母は怒り心頭だ。早く謝らなければ、更に怒るだろう。
「ごめんなさい。もっと努力します」
「本当なのね」
「はい」
暴力は許されないが、これくらいなら我慢出来る。私は母を凄い人だと尊敬してるから。
母は私を一人で産んだ。父になるはずだった男は妊娠を知ると姿を消したらしい。
祖母が協力して私を育ててくれた。
優秀だった母は弁護士になるという夢を諦めて働き、私が小学生になると、努力の末に司法書士になった。
仕事から戻ると部屋に引きこもり勉強する。毎日、毎日、いつ寝ているのか、家族にもわからない程の頑張りが実り、合格率4〜5%の狭き門を2年の独学で突破したのだ。
その母を子供の頃から見続けた。
そりゃ尊敬します。
でも弁護士になるという夢を諦めきれなかった母は、その矛先を私に向けた。
本人の意思とは関係なく決められたことだったけれど、これが自分のためだと信じて、母の真似をして努力を続けている。
小学生の頃、自分の夢を聞かれて『母に認められること』と答えた。それは今でも変わらない。苦しくても、母に認められなければ────。
その日の夜のことだった。
寝冷えをしたのかさむくて目を覚ました。
タオルケットを手繰り寄せようとすると、体が動かない。寝ぼけていた意識の中で金縛りと言う言葉が浮かぶと、悪寒は手足まで広がった。
目を開けてみる。変な物は見当たらない。ほっとしながら視線を足下に落とすと、常夜灯の薄明かりの下に着物姿の女が立ってて、ギョっとした。
一瞬母かと思ったが背丈が合わない。母は着物を着ない。それに姿が薄ぼんやりとしていて、後ろにある机が透けて見えた。
『うわわ、幽霊!』
金縛りで踠くことも出来ない中、この状況から逃れたい一心で『どこかへ行って』と心の中で叫び続けていたら、幽霊はさらに近づいてきた。
「いずみ」
名前を呼ばれて驚いた。けれども聞こえた声に覚えがあり、ふうっと怖さが和らぐ。懐かしい声だった。
「……おばあちゃん?」
額の写真と同じねず色の着物。薄暗いのに顔ははっきりしていて、子供の頃から何度も癒された祖母の微笑みが目の前にあった。懐かしさに、涙が溢れそうになる。
「どうしたの」
「いずみにギフト……」
「ギフト?」
「それは、夢……出会い。信仰していた仏様の恩恵」
意味がわからず尋ねようとしたら、祖母の顔に斜線が入り、すっと流れるように消えた。
金縛りが解けた私は体を起こして部屋を見回したが、祖母の姿はなかった。
蛍光灯をつけると現実感が戻る。何事もなかったかのように、部屋は静まり返っていた。
「おばあちゃんを見たことが、夢?」
カランっと、音がした。
ドキリとして振り返ると、机に置いてあるスクールバックのキーホルダーが目についた。
息抜きに買ったコミック本の付属品。ハートマークを女の子二人が抱きしめているキャラクター商品で、私のお気に入り。
バックを持って歩くと金具に当たってカランと音が出る。その音がした。揺れてもいないのに。
手でさわってみるが変なところはない。いつものキーホルダーだ。
その時、部屋の中でふんわりと白檀の匂いがした。祖母が着物の袖や袂に白檀の匂い袋を入れていたのを思い出す。
その香りを嗅ぐと、私は猛烈な睡魔に襲われて眠りについた。
* * * * * *
翌朝、カーテンから溢れる初夏の朝日に目がさめた私は、ぼんやりしながらスマホの時刻を見た。「まずい」、早く支度をしなければ遅刻する時間に驚きつつ、壁に掛かった制服をベットに投げる。
「えっ!」
パジャマを脱ぎながら鏡を見て、私は更に驚いた。
「髪が茶色……どうして?」
訳がわからないが、とにかく遅刻するのはまずいので慌てて制服に着替えると、何故かスカート丈が短かい。確認すると裾上げしてあるので、今はどうすることもできない。
仕方なく着替えて姿見を覗くとまた驚く。いつもの清楚系の着こなしではなく、どう見てもギャルの私がいた。
「うそ。どうしてこんな格好?」
初夏だというのにニット。再燃したルーズソックス。シャツの胸元が第2ボタンまで開いている。何故こんな着こなしなのか、本人にも理解できなくて混乱する。頭を抱えて蹲りたい衝動に駆られて、実際に蹲った。
今日は休むという選択肢もあるけれど、無遅刻無欠席が消えてしまう。
それはダメだと思った時、部屋のドアが開いた。頭が白くなった。パンツスーツ姿の母が汚いものを観るような目を向ける。
「あの、ご、ごめんなさい。私にも、なにが、なん……」
言い訳する私の口が急に閉じた。
「早くしなさい遅刻するわよ。私は先に仕事に行くから」
不思議なことに、私の姿を見ても怒らなかった。その母は机に視線を移すと、嫌な顔をして息をこぼす。
「漫画……」
本棚に並ぶ参考書の後ろに隠してある私の秘蔵書が、何故か机の上に散乱していた。
こんなことはあり得ない。漫画を読んでいるだけで母は腹をたてる。
適当な言い訳は浮かばなかったけど、黙っているのは良くないので立ち上がる。また『ごめんなさい』と言いかけたとき、口から意志に反する言葉が飛び出した。
「だからなに。私は学年で上位三人に入ってるんだから、これくらいで文句言われる?」
驚く間もなく勝手に口が開く。
「ありえないし。無遅刻無欠席目指してるから、もう行くね」
──ど、どういう事なの?
別人が言葉を発している気がしてパニック寸前になる。なのに、私の体は平然とスクールバックを手にして、部屋を出ていく。
母は何も言わず、首を傾げているばかりだ。
これは本当にどういう事で、
私に、なにが起きてるのか?
さいわいというか、ギャル姿の私を見ても誰も見向きもしなかったので、バスを降りて通学電車に乗り込む頃には落ち着きを取り戻した。
電車に揺られながら考えを巡らす。答えは一向に出てこない。
けれど何かが引っ掛かる。何かを忘れてる気がする。考え込んで「うーん」と唸り声をあげたら、隣のおじさんに見られた。
電車の揺れでキーホルダーがカタリと鳴ると、私は「あっ」と呟いた。
思い出した。
昨夜祖母が枕元に現れて『ギフトや夢』、と言われた覚えがある。
だったら、これは夢なの? 妙にリアルなのはさておき、夢なら合点がいく。だったら覚めるまで楽しめばいいのでは。
学校に入る時と、特に教室に入る時は緊張したけれど、私を見ても誰一人驚かなかった。やはり、これは夢だ。
「おはよー」
声をかけられて振り返ると、目の前にクラスメイトの鹿島結衣がいた。
彼女は偏差値65の当校に生息する少数派のギャルだ。制服を着崩し髪は茶髪、化粧をしてカラコンまでつけている。どうして生活指導が入らないのか不思議だ。
対する私は、地味な顔に無表情を貼り付けて人を遠ざけている正反対の女子。故に彼女とは絡む場面がない。だから思わず怯む。
「お、おはよう」
「あれ? 化粧してないじゃん。どーした?」
「やっぱわかる?」
私の口が、気持ちとは裏腹な会話を再開する。「今朝は時間がなくて電車スッピンだし。ありえなくない?」とか、鹿島さんの返しに「それなー」と笑いながら。信じられない。そもそも今の私は彼女の同類なのだから、気が合うのは当たり前なのか。
それだけではなかった。
「ねえ、稲村さん。授業でわからないところがあってさ」
「ここんところ教えてくれないかな」
あと一ヶ月弱で夏休み、そして期末テストが控えている。そのせいか私の周りにはたくさんのクラスメイトがやってきた。
驚いたことに、ギャルの私は朝から人気者だった。大変だけど楽しい。人を寄せ付けず孤立していた本物の私とは大違いだ。
でも……と、思ってしまう。
所詮は夢なのだと。
──あれ、これがギフト?
そう考えたら、急に眩暈がして、目の前が暗くなっていった。
* * * * * *
「いずみ」
鹿嶋さんの声がして顔を上げると、自身の黒髪が目の前ではらりと揺れた。
「えっ!」
思わず手で触り髪を凝視する。黒い。つい先程まで茶色だった私の髪が、黒髪に戻っていた。制服は今まで通りの清楚系。
教室を見回すと、授業前のクラスメイトが雑談している。窓から初夏の日差しが差し込み、少し蒸し暑い。この頃登校してくると概ねこんな雰囲気だ。でも頭がバグり、また眩暈がする。
「私、なにしてるの?」
「おーい、どうした」
「教えて」
「ええっと、私に勉強を教えてくれてたところ。事情を話して頼んだら任せろって言ったからだけど」
「そんなことを?」
「うん」
私と鹿島さんは机を並べて教科書を広げていた。それにノートとシャーペン。疑う余地がなさそうな状況だけど、覚えがない。
「大丈夫? 顔色悪いけど」
「少し頭痛がする」
「今朝はノリノリで私と話すし、ずいぶんテンション高かくてみんなに勉強教えてたから、それに乗っかって私まで便乗したけど、迷惑だったかな」
「そ、そんなことないよ」
どこまでが現実でどこまでが夢なのか? 鹿島さんが訝しげな目を向けたので取り合えず笑って見せたけれど、うまく笑えた気がしない。
これ以上不信感を募らせてはいけない気がして、「続けようか」と促す。
そういえば、鹿嶋さんはこのままでは進級すら危ないと小耳に挟んだことがある。
だからだろうか。勉強を再開すると、わからないところを何度も聞きなおし、納得ができるまで質問してきた。もともと自頭がいいのだろう、理解力は悪くなかった。
今日は土曜日で塾は休講なので、放課後もお願いされて彼女の勉強をみることになった。
まだギャルになったことが不思議で仕方がなかったけれど、夢というか、幻を見ながら登校したのだとしたら。それが突然冷めて、現実に戻った……なのだろうか。
確かなことは、これが祖母の幽霊と関係があることだ。
「おばあちゃん、こんなの頭がおかしくなるよ」
「おーい、ウチはおばあちゃんじゃないし。ヒドくね」
窓の外が茜に染まり、鹿嶋さんと帰り支度をしていたとき、心の声が口から自然に漏れていた。
「ご、ごめん。でも鹿嶋さんのことじゃ……考えごとをしてて」
「やっぱ、疲れてる?」
「鹿嶋さん、顔近い」
彼女の顔が鼻先まで近寄り、思わず身を引いてしまう。
「結衣でいい。名前で呼んで」
「え?」
「結衣」
「鹿嶋さん」
「もう……それで、何かあるんなら、相談にのるけど」
打ち明けようかと考えたが、常識外れのことを口にしたところで、笑われておしまいだと思い、「別に何もないよ」と曖昧に笑った。
すると彼女は優しげな視線を投げかけてきた。
「いずみは少しお気楽モードを覚えた方がいい。それが過ぎれば私みたいな馬鹿になるけど、あんたには必要な気がする」
カラコンをしている薄茶の瞳が夕日をはらんで柔らかく輝いていた。心配してるんだぞと、その瞳が物語っている。
他人からこんな目を向けられたのははじめてな気がする。
私は急に恥ずかしくなり目を逸らした。
月曜の朝も鹿嶋さんの勉強をみる約束をして、家路についた。
電車を降りても夕日をはらんだ空はまだ明るかった。
生暖かい風が足元にまとわりつき、バスを待つ足がほんの少し浮いてしまうような錯覚をもたらす。少し浮かれている。
バスの車窓から外を眺めていると、今日あった出来事を思い出す。あれは何だったのだろうという気持ちが大半だった。でもギャルになった私は、気持ちいい充実感を感じていた。
今の私とは相反するもう一人の私。あの稲村いずみは、心の奥底にいるのだろうか。
帰宅すると、母の靴が玄関にあった。
「ただいま」
返事はない。リビングを覗いても母の姿はなかった。
なぜ早く仕事を終えて帰ったのかわからないけれど、今までもある事なので気にする必要はないだろうと考えながら、2階に上がる。
私の部屋のドアが空いていた。嫌な予感がして慌てて中に飛び込むと、母がゴミ袋を広げて、手にした物を投げ入れていた。
「何してるの?」
「今日は塾、休みだったわね。どうして帰りが遅いのかしら」
母は隠してあった私の漫画本を破り捨てていた。正座したまま本を引きちぎり、恨みでもあるように強く丸めて投げ捨てるその姿に、私は恐怖を覚えた。こんな母は初めて見た。
「今日ね、電話があったの。あの男から」
「誰から?」
「いずみの父親」
押し殺すような母の声が耳朶を打った。
母は虚空を睨んで唇をかみしめている。
胸が圧迫されたようになり、息苦しくてたまらない。逃げた父親が、現れた?
「嘘でしょ。今更?」
「どうして私の電話番号を知ってるのか聞いたら、取引先の会社に聞いたって。コンプライアンスはどうなってるのかしら」
母が刺すような目を向けた。
「会ってたの? あれと」
「い、いいえ」
「いずみの顔を見たいって」
「放課後、友達と勉強してたから遅くなっただけ。会うわけない」
「本当?」
「顔も知らないし、私を捨てた人を親だと思ってない」
本当に今更だ。私の存在を認めなかった人など知ったことじゃない。
母は一度手を止めたけど、すぐに本の廃棄を再開した。紙を引き裂く音が部屋に響く。止めたかったが、今更どうにもならない。
「なら、いいわ」
と言った母の手が伸びて、スクールバックのキーホルダーを引きちぎった。そのままゴミ袋に投げ捨てる。
「もうやめて、返して!」
私は咄嗟にゴミ袋に飛びついた。袋が破れて中身が散乱する。母が金切り声を上げた。
「こんなくだらないモノに気を取られないで。私気持ちがわからないの」
「これくらいのどこがいけないの」
「司法試験に受かるまで我慢しなさい」
「私は頑張ってる。認めてよ」
「何を?」
何を、って本気で言ってるのだろうか。同級生の誰よりも勉強をしているつもりだ。全国レベルじゃ私より上は沢山いるから、母は私を認められないのか。
「たいした努力もしてないくせに」
体が強張り、悔しさが湧き上がった。
これは母の本音に違いない。今まで、遊ぶ暇も寝る間も惜しんで、勉強、勉強。働き詰めの母の期待に応えたかったから、それだけを選び続けた。でも認めてくれないなら。
──意味なんか、ない。
私は家を飛び出した。
背中越しに母の呼ぶ声が聞こえたが、私は振り返らずに走った。
どこをどう走ったのか、気がつけば見知らぬ公園にいた。日は暮れて、藍色の空に淡い星が疎に浮かんでいる。
私は街灯に照らされたベンチに座った。言い知れぬ閉塞感に襲われて、溜め息以外出てこない。涙すら流れなかった。
「もう、嫌だ」
ふと、白檀の香りがした。
「いずみ?」
私を呼ぶ声がする。
顔を上げると鹿島さんが立っていた。心配そうに近寄ってくる。
「こんなところでどうした?」
「ここ、どこ?」
「私んちの近く。ていうか、顔色ヤバくね。なんかあった?」
「ええと……」
聞かれても口籠るばかりだ。
今朝経験したギャルの私なら、こんな状況を軽く超えていくのだろうか。
もしそうなら、助けてほしい。
藁をも掴むつもりで、自分の中にいるかもしれない『もう一人』の私に手を伸ばしてみる。でもそれは、頼りないものに縋る行為かもしれないけれど。
「鹿島さん、今から私の髪染められるかな」
「私みたいなギャルになりたいとか?」
「かもしれない」
彼女は目を見開き黙ると、私の奥底を覗き込むように見つめてきた。
気まずくて下を向く。
「え……っと、家に来たら出来るけど」
「じゃあ、お願いします」
鹿嶋さんの家は公園からほど近いマンションだった。周りは同じようなマンションが立ち並び、住人でも部屋を間違えるらしい。
リノベをした古い2LDKの8畳間が鹿島さんの部屋だった。妹さんと同室らしく、私が入ると何も言わず彼女は部屋を出て行った。
迷惑をかけたので、ごめんなさいと謝ると、
「私らのルールだから」
気にしなくていいと鹿島さんは笑った。
二人で同室なのに物が少なくて整理整頓されている。それでも女の子らしいグッズが所々に飾ってあり、華やかさがあった。
鹿嶋さんの部屋ならモノがあふれている気がしてたけれど、違ったみたいだ。
クッションを勧められて座る。
彼女は美容院で髪を染めているのではなく、市販のヘアカラーを使っているそうだ。
新品があるから持ってくるねと彼女は腰を浮かせたが、その前に、と座り直した。
「なぜ公園にいたか説明するね」
神妙な顔をすると、信じられないかもと注釈を入れて彼女は話しはじめた。
「家に戻ろうとしたら白檀の香りがして、何だろうって振り返ったらさ、知らないお婆さんが立ってた」
ドキリとした。それは私の祖母かもしれない。でも、なぜ鹿嶋さんのところへ?
「透けてんだよそいつ。ヤバっ、幽霊じゃんってビビってたら、無理矢理手を引かれて公園まで連れられて、そしたらベンチにいずみがいた」
「……白檀の香りがしたんだ」
「した」
「それ、私の祖母だと思う」
驚いて引くかと思ったが、彼女は「へぇ、そう」と気のない返事をしただけだった。
「で、何があったの?」
私は答えずに俯く。事情を話したところで、同情されて終わるだけだ。
それより、早く髪を染めてほしい。
何かをしなければ、自分の輪郭がボヤけて消えそうな気が……。
「ウチらの学校って割と偏差値高いじゃん。そんな中、私は落ちこぼれてる訳なんだけど、一応言い訳というか、理由があるんだ。貧乏になったから、もう大学行けないし」
「なんでそんな話を?」
「父親が病気で長期入院してるんだよね」
えっと、私は息を呑んだ。
同じクラスメイトなのに、そんな事情を抱えてたなんて知らなかった。
「だから何かとお金がいるし、学校辞めようと思ったんだけど、両親が高校だけは出ろって煩くって」
人間関係が希薄な私は、こんな時、何と言ったらいいのかわからなかった。
黙って聞くしかないだろう。
でも、わかったことはある。だから鹿嶋さんは突然勉強をはじめたんだ。もう一つわかったことがある。彼女はとてもまっすぐだ。私のように、うじうじと悩まない。
「はい。次はいずみの番ね」
鹿嶋さんは私が話しやすいように、自分の身の上話を先にしてくれたのだ。その優しさが身に染みて、私は目頭が熱くなってきた。
何から話せばいいのか。
ただの愚痴話になるかも。
我儘かもしれない。
けれども、一つ息を吐いて、
私は思い切って口を開いた。
「あのね……」
口を開いた途端に涙があふれた。
父親のこと。母の過度な期待。
何もかもがグチャグチャで取り止めのない言葉だけど、懸命に思いを紡いで話をする。
彼女は黙って私の話を聞いてくれている。それがありがたくて、言葉は涙まみれになってしまった。
「……認めてくれないなら全部投げ出したい。でも、それは出来ない」
たった一人の母親。私のために夢を諦めて身を粉にして働いてくれている。だから愚痴は終わりにする。泣いても現実が変わることはないのだから。
ふと、鹿嶋さんの手が私の頭を撫でた。
見れば、彼女も目を赤くしていた。
「つらかったね。よく頑張ったじゃんか」
そして彼女は私の手を握った。
「でもさ、いずみの人生なんだから、自分のために生きてほしいかな」
「母が認めてくれないから、私の価値なんて」
「私はいずみを認めてる。人より努力しているのを知ってる。だから学年のトップクラスにいるんだろ。クラスのみんなが、そう思ってる」
「……嘘」
「嘘じゃない。自分の努力を誇りな」
その言葉が胸に沁みて、すっと涙が零れた。
ああ、そうか。
ようやく気づいた。
私自身が私を認めてなかったんだ。
私は自分が認められないから、母を頼りに自身の価値を確かめたかったんだ。
でも、本人が認めてないのに、母が肯定してくれるわけがない。
それに母がダメでも、目の前にいる鹿嶋さんは認めてくれている。
だから私は、自分を誇るべきだ。
じゃないと、鹿嶋さん、いいえ、手を差し伸べてくれた結衣に申し訳ない。
結衣にもたれかかると、彼女は優しく抱きしめてくれた。
「ありがとう。結衣」
「お、名前で呼んでくれた」
彼女の満面の笑みが眩しくて、また涙が出てきた。でもこれはうれし泣きだ。
結衣には言わなかったけれど、部屋の中に白檀の香りがしていた。きっと祖母が近くにいるのだろう。
────おばあちゃん、ギフトありがとう。
私は目を閉じて心の中で呟いた。
「ところで、さっきからスマホ鳴ってるけど」
「え、気が付かなかった」
結衣に促されて慌ててスマホを取り出すと着信音はとまった。画面を見ると母からだった。画面をスクロールすると母からのメールや着信がいっぱいある。
一つメールを開いてみると『どうかしてた、ごめん』の文字が飛び込んできた。
今までの私は母から逃げていただけだ。でもそれじゃだめだ。
「帰るね。今から母と向き合ってくる」
「やるじゃん。明日報告よろ」
「うん」
私は頷くと、結衣に負けないくらい快活に笑った。
家に帰った私は、母とひざを突き合わせた。母は憔悴しきった顔をしている。自分を捨てた男から突然の連絡に混乱して、その怒りを私に向けてしまったことに後悔していると頭を下げた。
「いずみを取られるんじゃないかと不安で……」
母はとても意志の強い人だけれど、その内面に脆い部分を持っていて、時々情緒が不安定になるのだろう。私は自分のことだけじゃなく、母のことも見えてなかった。
「お母さんの傍を離れる気はないよ。でもね、これで卒業します」
「え……?」
「今まではお母さんのために頑張ってきた。でも今日からは自分の意志で勉強を続ける。弁護士には興味があるので目指すけど、それは自分のため。私は私になります」
「私は私になるって?」
「うーん、とりあえずギャルになってみようかな。楽しそうだし」
母は困った顔をして「それはだめ」と言ったが、以前のような強い口調ではなかった。
なんだか親子で前に少しだけ進めた気がする。
それもこれも、祖母のギフトのおかげ。
……あれ?
祖母はギフトを『出会い』とも言ってた気がする。
もしかしたら、本当のギフトは結衣なのかも。
だって私は彼女がいなければ、今ここにいない。
「お母さん。私ねギャルの友達ができたの」
母はさらに困った顔になった。でも聞いてほしい。
「その子のおかげでお母さんと話すことができた」
「そう。どんな人なの」
「人を思いやれる人。それに優しい」
「いい出会いだったのね」
「うん」
この暖かい気持ちを、明日結衣に報告しよう。
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