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モスクワに留学していたら戦争が始まった話-8
↑前回 開戦翌日(2月25日)の記録
暴落と孤立の通貨
開戦から幾つかの夜が過ぎたが、モスクワの街並みは基本的に何も変わらなかった。銀行の現金不足問題は解決に向かっていたようで、時々ATMに列をなす人々の姿を見かけることはあっても、ほんの2~3か所を回れば特に難なく現金を手に入れることができた。
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私は相変わらず街を歩き続けたし、友人と会って夕食を食べることもあった。気が付いたら日本語を学ぶロシア人学生たちも合流して大所帯となることもあったが、大いに盛り上がるぶんには大歓迎だった。そうでもしないと、精神がどうにかなってしまいそうな恐怖感に静かに苛まれていたからだ。
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ただ、私の主観的問題以上に、明らかに事態は悪化していた。ウクライナへの攻撃は日々激化しており、クリミアを含むロシア=ウクライナ国境地帯の街が蹂躙される様子がTwitterに頻繁に流れてきた。こうして映像付きで国家間戦争(もとい一方的侵略行為/自称特別軍事作戦)の鮮明な映像が、インターネットでリアルタイムで流れてくるのは世も末だと、心底絶望したものだ。
しかし正確なことを言えば、私はその映像をリアルタイムで確認していない。敢えて見たくなかったのは勿論だが、「見ようと思っても見られなかった」ということが正解だ。どういうわけか、動画が読み込めなかったのだ。
同時に、開戦直後から不調続きだったInstagramが、いよいよ使い物にならなくなってきた。それは私のみならず、ロシアにいる他の知人たちにも同様の現象が起きていた。言うまでもない、ロシア政府のインターネット規制である。
戦争が始まるまでのロシアでは、当然ヘタなことは言わずにいるに越したことはないのだが、かなりの程度インターネットの自由は保障されていた。LINEこそ複雑な事情があって使用できなかったが、TwitterやInstagram、Facebookといった西側の主要なSNSは何ら問題なく使用できたのだ。
だからこそ、開戦を経て突如として発生した規制はあまりにも露骨であり、衝撃的であった。このような情勢下でSNSを見ていてもろくな精神状態にならないため、この際思い切ってデジタルデトックスをしようかと一瞬思ったものの、やむを得ず有料VPNをインストールすることを決めた。
ノイズだらけのSNSだったとしても、少しでも正確かつ最新の情報が手に入るならば、投資を惜しむべきではないと考えたからだ。VPNを導入したことでついでにLINEも見られるようになり、皮肉にも通信面での利便性が大きく向上した。
一方で、VPNを使用すると今度はロシア国鉄やズベルバンクのサイトが開けなくなるという弊害も発生した。仕方がないのでロシアのインフラ系サイトを見る時だけはVPNを切っていたが、あの使い分けは本当に不便だった。外界への道を遮断すると同時に、内は内で殻に籠ってしまうという、まさしくインターネット鎖国である。
とはいえ、インターネットが規制されたとて生命の危機に直結することはない。真剣に危機感を覚え始めたのはクレジットカードの規制が始まった時だ。まず誤解がないように状況を整理して明記しておくと、ロシアにおけるカード規制は以下のように進行した。
1.VTB銀行への制裁(2月下旬ごろ、開戦後すぐ)
・VTB銀行はロシア鉄道やモスクワ地下鉄など、インフラ系で使用されることが多いプラットホームに浸透しており、ロシア政府系システムへの直接的なインパクトが大きかったため真っ先に制裁対象となった。
・制裁により、VTB銀行のプラットホームを使用したシステムでロシア国外のカードを使用することができなくなった。
・VTB銀行で発行されたカードをロシア国外で使用することも、同様に不可能になった。
2.Apple Payのロシア撤退(3月上旬ごろ)
・Apple Payがロシアでのサービスから撤退し、使用不可となった。
・ロシアではデビットカードをApple Payに簡単に取り込むことができ、制裁前は非常に使い勝手が良かった。
・「Apple Payがロシアから撤退するかも」というニュースが3月初旬に出た時点で、Apple Payの使用を自主的に断る店もちらほら出始めたが、実際は3月10日ごろまでは使うことができた。あの謎自粛は一体何だったんだろうか。トラブルを回避できそうな気もするし、変なトラブルを生む気もする。
3.ズベルバンクへの制裁(3月上旬~中旬ごろ)
・VTBはインフラ系メインで浸透していた一方で、ズベルバンクはスーパーやレストランなどに密着したプラットホームだったため、日常生活を考えるとこちらのほうがインパクトが大きかった。
・ズベルバンクのプラットホームを使用したシステムでロシア国外のカードを使用することができなくなった。
・ズベルバンクで発行されたカードをロシア国外で使用することも、同様に不可能になった。
4.よく誤解されること(なんなら当時の自分も誤解していたこと)
・ロシアで発行されたVISA/マスターブランドのデビットカードは、実はロシア国内に限れば継続して利用することが可能。
⇒戦争が始まる直前に嫌な予感がしたため、慌ててロシア独自の決済網を使用したMIRカードを申し込んだが、そんなに要らなかった。
・今でもロシア国内発行のVISA/マスターカードならロシア国内で使用できると思われる。新規発行の可否はわからない。
とりあえず、ロシアの口座に金が入っていれば困ることはないが、当然ながら潤沢な資金など持っていなかった。2月下旬時点では日本のカードでも場所を選べば使うことができたのだが、近いうちにズベルバンクあたりも制裁を食らうのは火を見るよりも明らかな状況だった。そして実際にそれは現実となったわけである。
下の写真はモスクワ地下鉄の改札機で、交通カードのみならず一般的なクレジットカードのタッチ決済でも通行可能なのだが、開戦から4日と経たないうちに日本のカードでは通過できなくなっていた。まさしく、VTBの決済システムを使用しているからだ。
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経済的にショッキングなニュースはもう1つあった。ルーブルの大暴落だ。開戦前まで概ね1ルーブル=1.5円前後を細かに行き来していたルーブルのレートだったが、開戦直後に1.3円台へと下落した。しかし本当の暴落は戦争が始まった後に最初に迎えた月曜日、2月28日に起こったのだ。
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28日の朝にレートを見ると、なんとびっくり1ルーブル=1.04円にまで大幅下落していたのである。週明けで大きくレートが動いたにせよ、開戦前と比べると対日本円で価値が3分の2になったということになる。純粋に日本の口座から留学資金を引っ張り出すぶんにはありがたいことかもしれないが、もはやそんなことを喜んでいられる状況ではなかった。
空の封鎖
戦争によって起きたことは様々あれども、特に精神的につらかったものを1つ挙げるとすれば空路の封鎖になるだろうか。経緯は以下の通りだ。
【ポイント】
●ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、状況は大変緊迫しているところ、ウクライナとの国境付近に近づかないようにしてください。
●本24日、ロシア政府航空局はウクライナ情勢を受け、3月2日までロシア南部の都市に所在する空港を一時的に閉鎖すると発表しました。今後、範囲が拡大される可能性もありますので、国内移動を予定している方は関連情報に留意し、最新の安全情報について確認するとともに、情勢に十分注意してください。
●「鉄道」や「バス」など陸路での交通手段は現在のところ通常通り運航されています。
【本文】
1.ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、状況は大変緊迫しているところウクライナとの国境付近に近づかないようにしてください。また、関連情報に留意し、最新の安全情報について確認するとともに、情勢に十分注意してください。
2.2月24日、ロシア政府航空局は下記の10空港を3月2日まで一時的に閉鎖すると発表しました。
アナパ(ヴィチャセヴォ)空港、ヴォロネジ空港、エリスタ空港、クラスノダール(パシュコスキー)空港、クルスク空港、ゲレンジーク空港、スタヴロポリ空港、ブリャンスク空港、ベルゴロド空港、ロストフ(プラトフ)空港
3.また、日本航空によれば、ロシア政府が設定した飛行禁止区域との関係で、本24日(木)羽田発JL40便及び明25日(金)モスクワ発JL49便は欠航となります(来週以降の便については現在のところ平常運航を予定している由)。
在ロシア日本国大使館 2022年2月24日 配信
まず開戦するや否や、ウクライナ上空はもとよりウクライナに近い南ロシアの空港・空路が封鎖された。なまじ過去この地域でミサイルによって旅客機が撃ち落されたこともあったので、これは当然の措置だろう。
これによりJALのモスクワ便が即座に運航停止となった。安全優先の日本企業らしい措置だが、この時はまだあくまでも一時的措置だと考える声が少なからず上がっていた。
複数の欧州諸国はロシアの航空会社に対し、自国上空の飛行を禁止する措置を発表しています。ロシア政府はこれらの欧州諸国の航空会社に対しロシア上空の飛行を禁止する対抗措置を発表しており、ロシアと欧州諸国間との航空便が運航停止となる動きが広まっています。経由便も含め欧州方面との往来を予定されている方は、航空便の運航状況にご注意ください。
ロシア連邦航空局はイギリス、エストニア、スロベニア、ブルガリア、ポーランド、チェコ,ラトビア、リトアニア、ルーマニアがロシアの航空会社による自国上空の飛行を禁止した措置に対抗するとして、これらの国の航空会社によるロシア上空の飛行を禁止する措置を発表しました。
また、本27日、オーストリア、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ベルギーも同様の措置を発表しました。
ロシアと欧州諸国間の航空便が運航停止となる動きが広まっています。
これらの国の航空会社はロシア上空の飛行を避ける必要があることから、欧州からアジア方面へのフライトについても影響が出ています。経由便も含め今後の航空便の運航状況にご注意ください。
在ロシア日本国大使館 2022年2月27日 配信
しかし事態はほんの2日ほどで急変することになる。ヨーロッパ諸国が制裁措置の一環としてロシア国籍機の領空飛行を禁止し、それに対抗する形でロシアも当該国籍機の領空飛行を禁止したのだ。
こうなるともう大変である。ロシア領空は欧州とアジアの最短経路であり、その上空が飛べないとなると著しい大回りを強いられることになる。欧州航路がアンカレッジを経由していた冷戦期に、何もかもが逆戻りしてしまったようなものだ。
何より、ロシアに居た人間としてはロシアから出国する手段が著しく制限されたことが非常にまずかった。残るまともな出国路としては中東経由か、一時的な緊急避難としてカフカスか中央アジアにいったん飛ぶことを選ぶしかなかった。
当時日本にいる人々からよく言われたのは、「中国から出国すればいいのではないか」ということだったが、当時はまだコロナ禍の影響が大きかった時代。中国は厳しい検疫制度を敷いており、トランジットさえも現実的な手段ではなかった。
この他、陸路出国でフィンランドやエストニアにいったん出るという方法もあった。しかしながら、まともな出国手段はバスのみであり、ロシアの陸路国境をコロナ禍以降に越えたというレポートも当時は少なかったので、候補としての優先順位は低かった。
今になって言える話としては、当時は検疫上の問題により、第三国民のEU⇒ロシアの陸路入国はNGだったものの、ロシア⇒EU方面への陸路出国は可能だったらしい。それならばEU圏内で遊んで帰ってくればよかったと思ってしまうものだが、何もかも全ては結果論と言うほかないだろう。
こうして、ロシアは再び鉄のカーテンに包まれた。長かったコロナ禍にようやく終わりが見え始め、国際線運行も少しずつ再開され始めた矢先、時代は2019年よりもさらに昔へと巻き戻されたのだ。
その時カーテンの内側にいた自分にとって、この事実は極めて重たいものだった。歴史の転換点という大きなスケールの問題ではなく、単純に生活上の大きな懸念点として、恐ろしく精神を蝕んだ。
抵抗の印
さて、このような異常な侵略行為に対して、全ロシアが声を上げずに沈黙していたわけではない。弾圧されることを覚悟で、少なからぬ市民たちが抗議のために危険を顧みず立ち上がったのだ。
在ロシア日本国大使館からの通知文(の基となっている独立系サイトの情報)によると、2月24日だけで反戦デモに参加した人々がロシア全土で1千8百人以上、うちモスクワではおよそ1千人が治安当局により拘束されたのだという。
拘束された場合でも罰金刑で済む場合もあるという話もあるが、見せしめ的な意味も含めて場合によっては数年の懲役刑も免れない。そんな状況でも声を上げる勇気は、すさまじいという言葉だけでは言い表せないだろう。
悔しいことに今もなおそうだと思われるが、今般の件については「戦争」と言ってはいけないのである。あくまでもウクライナに巣食うネオナチからロシア系住民を救うための救済、すなわち「特別軍事作戦」である。
あくまでロシア政府公式の認知としては戦争など一切していないので、「戦争反対」というワードは、軍に対する誤った風評を流し、軍の信用を毀損したという罪状に該当するというわけだ。
なんとも馬鹿馬鹿しく、もはや何が本気で何が建前なのか分からなくなってしまうが、少なくとも法規はそのように運用され、事実としてそれをもとに法が執行されているのである。
ロシア軍がウクライナへの軍事行動を開始した昨24日、モスクワ中心部のプーシキン広場などロシア各地で反戦デモが相次ぎ、独立系サイトによれば全土で1千8百人以上、うちモスクワではおよそ1千人が治安当局により拘束されたとしています。今後も各地においてこのようなデモが行われる可能性がありますので、最新の情報入手に努め、デモ参加者と治安機関の衝突が発生する事態に巻き込まれることがないよう十分注意して下さい。
1.このようなデモは当局から許可を得ていない無許可のデモとして、当局は厳しく取り締まる姿勢をみせていることから、興味本位で近づいた場合、参加者と間違えられ当局に拘束される懸念があります。デモが行われている地域にはできるだけ近づかないよう注意して下さい。
2.また、状況次第では周辺地域で地下鉄駅の封鎖や交通規制が実施されたり、事前の予告とは異なる場所でデモが行われる可能性がありますのでご留意いただくとともに、在留邦人及び渡航者の皆様におかれましては、報道等による最新情報の入手に努め、無用なトラブルを回避するためにもデモには近づかないようにし、安全の確保に努めて下さい。
在ロシア日本国大使館 2022年2月26日 配信
一方で、一外国人としては政権に抗うデモを心から応援しつつも、近づくに越したことはないという存在で見ざるをえなかった。大使館のメール通知も、「無用のトラブルを避けるために近づくな!」ということを強調して伝えていた。まったくもって妥当なことだ。
とにかく、無事に生きて帰ること。虚構の平和の中に生かされていても、この国の官憲の世話になり、母国の外交官に手間をかけるということはあってはいけないことだった。強力かつ残忍な政権に立ち向かう義士たちに心の底から敬意を表しつつ、表では沈黙を貫く。あの時のモスクワでは、こうする他なかった。
もっとも、そのような表立った活動だけが市民たちの「反抗」の手段ではなかった。何事にも白と黒の間には灰色があるが、その灰色を攻める人々、もしくは素性を知られぬように黒色を攻める人々、まさしく様々な意思表明の形があの時のモスクワには見られた。
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印象的だったものはいくつかある。まずは大祖国戦争英雄都市の碑の上に供えられた花々だ。
モスクワのクレムリンの裏手には、大祖国戦争(第二次世界大戦の独ソ戦)で特に功績を遺した都市に贈られた、英雄都市の碑がある。対象は旧ソ連の都市なので、必ずしも現ロシアの都市だけとは限らないのだが、大変皮肉なことにウクライナの首都・キエフもまた英雄都市の1つなのである。
薄ら光沢の残る褐色の石碑には、黄金の星と「КИЕВ」のレリーフが埋め込まれているが、2月24日を境に静かに花が供えられるようになったのだ。
その花が表すことは言わずもがな、しかしこれだけの行為では、当時のロシアに残ったなけなしの法制度でも裁くことはできなかったのだ。現に、私がその光景を目にした際は、警官たちも何も言わずに石碑を見守っているだけだった。ここで「戦争反対」などと叫んだりすれば、一発アウトだが。
正直私としては、この光景を撮るだけでも緊張感があったのだが、周囲の市民たちが写真を撮っていることに対して警官たちは無反応であったため、思い切ってシャッターを切った。
しかし、市民たちが素通りし、警官たちの姿も見当たらない日常風景の中に「戦争反対」とスプレー書きがされているものを写真に収める勇気はなかった。「戦争」というワードは露骨なNG用語である上に、思いがけないところから警官が登場すると完全に詰んでしまうからだ。
皮肉なことかもしれないが、キエフの碑のようにあからさまに警官が指を咥えて見ていることが分かった方が、写真は撮りやすかったのだ。「戦争反対」のスプレー書きは時折見かけることがあったが、印象的なものを除いてほとんど写真には収めていない。
その印象的だったものの1つとしては、まさしくその「戦争反対」のスプレー書きを消している瞬間に出会ったことだ。
あれはУниверситет(大学)駅の地下道だったが、交通局の職員らしき人が清掃具を持って扉をこすっていた。何をしているのかと思いよく見ると、うっすらと「戦争反対」の文字が滲んだ扉面に見て取れたのだ。
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思わず、私は少し離れた場所から分からないようにシャッターを切った。この職員が何を考えていたのかは分からないが、これは真に印象的な光景だったと思う。
無機質に処理される落書きと同じように、抵抗の印があっけなく消えていく。その文字に込められた感情は極めて重たく、事実としてこの国は「戦争」を今しがた始めてしまったわけである。警官隊が殴り込んでくるわけでもない、弾圧と言うにしても過剰表現に思えてしまう、一見すると日常的な清掃によって抵抗の印が消されていく。この光景は、今思い返してみても大変奇妙なものだったと感じてしまう。
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あと1つ、「これはいいなあ」と思ってしまったものは、長い長い地下鉄のエスカレーターの途中にペタリと貼られた「戦争反対」のシールである。エスカレーターの途中なので貼ろうと思えば簡単に貼れてしまうが、これは剥がそうと思うとそれなりに大変になるはずだ。
なんたってモスクワのエスカレーターは爆速で動いており、地上から底までの距離は相当に長く、斜度もそこそこあるため、ただシールを剝がすだけでも危険と困難を伴う作業になる。
このシールの攻めていたところは貼ってある場所だけではなく、「戦争反対」とウクライナ語で書かれていたことだ。ロシア国内においてウクライナ語で書かれた反戦メッセージを、私はこのシール以外に目にしたことはなく、そういった点でもこれは一線を画す存在であった。
実際、このシールは私が認知して以降も1日は剥がされることはなく、気が付いたときにはシールの半分くらいが残った状態で、無理くり剥がそうとした跡が見て取れる状態になっていた。いい気味だ、と私が思うのも変な話かもしれないが、妙に「してやったり」という気持ちを抑えきれなかったのがこのシールだ。
現状、市民からの抵抗は戦争を止めるに至っていないことは事実であり、開戦から3年近くが経過した現状、そういった反抗の声がどのように表出しているのか、私にはもはや生身で知る手段はない。
それでもなお、開戦から数日間のロシアにはあの手この手で強権に抗う人々の姿があった。真正面から立ち向かう人々、誰にも姿を見られぬように爪痕を刻む人々、そして婉曲的な手段を用いてメッセージを残す人々———そういった声が決して無駄にならず、いつか実を結び、再び平和な世界が戻ることを、私は願ってやまない。
↓次回 開戦から1週間後の記録