非無機質と室外機
室外機はどこまでも無味乾燥で無機質で、飾り気のない薄汚れた四角い箱で、今日もブーンと唸りながら熱い息を吐きだし続けている。孤独といえばあまりにも孤独だが、きっと室外機は何も感じていないかもしれない。いじらしいまでの孤独だ。
ただ、これは室外機好きなら誰でも知っていることだが、室外機の近くにはしばしば鉢植えやプランターが置かれている。室外機の上に置かれていたり、室外機を取り囲むように置かれていたり。室外機だけ孤独に立っているケースは、ないこともないのだが、少数派。
それは住人を映す鏡なのだ、と思う。住人の室外機に寄り添う姿勢を映す、とても愛らしい鏡なのだ、と思う。段ボールに無造作に入れられた植物たちも、プラスチックの少し歪んだ丸いバケツも、そこに佇みながら、一生懸命に室外機の孤独を和らげている。
(ココロの目で、室外機の周りから一切を消してみよう。灰色の夜の砂漠のように見えるでしょう?)
寄り添う。レンガのすき間から顔を出した小さな緑が、室外機を見上げているように。どんなに孤独でも、周りにはきっと小さな温もりが。
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