死への恐怖との闘い
人は誰でも死ぬものなのに
病気で死が確定的なものになると
なぜこうまで恐怖感が浮かぶんだろう、と思う。
甲状腺がんが骨転移しステージ4
抗がん剤では寛解できない、延命効果のみ
そう言われてしまうと
遠くにあったはずの「死」という現象が
いつも隣にいるような
そんな気になってしまう
本当は、病気になる前も「死」は隣りにちゃんといたんだろうが
見ないようにしていただけなのかもしれない
人生を悔いなく
死ぬ前に後悔しないように
そんな思いで動くことが増える
がんになる前も、難病になっていたので
そういうことはよく考えていた方だと思う。
でも、今思うと、現実味があまりなかったのかも。
私がかかった難病は
そんなにすぐには死なない病気だったし
死ぬ前に後悔しないように・・・なんてカッコいいこと思ってても
まだまだ時間はたっぷりある、大丈夫大丈夫、と内心思ってた
甲状腺がんが発覚した時も
早期に手術できてラッキー、くらいに思ってたし
甲状腺がんは進行も遅くおとなしいがん
私ってつくづくラッキーと思ってたんだけど
昨年、遠隔転移してステージ4と言われたときは、1年以内に死ぬのかも
そう思って真面目に焦った
私の人生はもう終わりか・・・
そう思って毎日嘆いていた
でも、人間、そう簡単には死なないもの
医学は進歩しているから
何かと打つ手があり、延命、というものが
結構長く続きそうだ
だから今は、本当に静かに日常を送れているはずなのに
ふとした瞬間に湧いてくる、死の恐怖、これが一番厄介だ。
私の心が勝手に創り上げている「死の恐怖」であって
何かメリットがあって、心の中に創り上げているものなんだと思う
思い当たるメリットは
「もうすぐ死ぬかもしれないんだから」という枕詞をつけて何でもできちゃうこと
・ほしいものを何でも買っていい
・仕事を頑張りすぎなくていい
・家事もしなくてもいい
・好きなものを好きなだけ食べてもいい
・今のうちに行きたいところに行った方がいい
欲求は限りなく実現してしまっているし
(お金の心配はしなくていい・・だってあと4年以内に死ねば、保険金1,000万がでるもの)
やりたくないことはやんなくていい、で済んでいる。
で、そこでまた、私、それでいいのか?となる。
4年以上延命したら保険金の期限が切れてしまって
死ぬ前に・・・の大義名分で実現させたことは
払えなくなってしまう
死ぬ前にやりたいことをやっておいて
後悔しないようにしよう
と思っていても
今だに本当にやりたいことって何?って感じ
起業していているけど
死ぬまでにやり遂げようとか爪痕を残そうという
強い意欲はあまりわかない(0じゃないし、自己投資した分は取り戻したいけどね)
毎日平和に、夫と子供に愛されて
幸せに暮らせればそれで満足
と思いつつも、物欲も消えず
動けるうちに海外旅行したい
ジュエリーを身に着けてテンション上げて過ごしたい
過去に我慢してたことは全部やってから死にたい
そういうエゴ的な欲は尽きない
誰かに貢献できない自分が悲しい
そんなに人間が出来てないところが残念
そう思ってることが唯一後悔することかもしれない
今書いててそう思った
結局、お店で買い物をするときの店員さんが言う
もう二度と出会えない
今しか買えない
みたいな風にあおられて
惑わされているのと同じなのかもしれない
自分をあおって惑わせている
これが自分が心に住まわせている
「死の恐怖」
というものなのかもしれないな
昨夜、急に強い痛みが出て眠れず
ちょっと心と向き合ったので
気持ちを書いてみました。
読んでくれてありがとう。
がん治療はしんどい
人それぞれ進み方が違うから、どう進むのかわからない
自分の命がどうなっていくのかがわからない
症状がどう進むのかわからない
苦しむんだろうかという漠然とした不安
いっぱい不安
けど、こうやって治療しながら日々を過ごしている仲間もいっぱいいます。
お互いの記事を読みあって
分かり合えると嬉しいです。
また書きます、笑顔で^^
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