#1 あ:当たり外れ
私は扁桃をたべるのが下手だ。
食べようとしていつも容器から零れ落ちる。
ゆえにもう食べることも諦めてしまっている。
世間はみな私をおかしいという。
おかしいとはどういう感じだろう。
人は私と話すとこわいという。
こわいとはどういう感じだろう。
扁桃接種不足。
そういわれても私には何も感じない。感じ得ない。
だってみんな死んでいってるじゃないか。
苦しいって死ぬんだろ。
無造作にすれ違う信号歩道に、雑踏に、
通る人はみな大切な人がいるらしい。大切なものがあるらしい。
大切ってなんだ?死ぬものは自分は大切でなかったのか?
自分を大切でなかったものは、大切な人や大切なものがなかったから、大切でなかったのか。自分というのはもしやつながりありきなのか。
この扁桃を食べると「気持ち」がわかるらしい。「気持ち」があるは当たりか?はずれか?この扁桃、摂取するべくかどうか。
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310(さいとー)です。
共同マガジンをnote内でいおさんと行うことになりました。五十音順にランダムに出されたワードをお題に、第1回目は「あ」「当たり外れ」がお題となりました。
今回は2人で行いましたが、今後参加したい人がいらっしゃれば気楽にご参加できるようなものになればなと思っております。創作好きな方は是非ご参加表明ください。
同じお題で書くといろんな人のその単語の見方がみえてすごく刺激になります。「当たり外れ」という単語。初めは全くもって何も思いつかなかったのですが、なんとか形にはなりました。
実はこの作品の前にも書いたものがありますが
なんとも分かりにくいかと思いまして書き直しいたしました。下記の引用はその没作品です。
ガシャコンっ
落とされた熱い煙
舞い昇る頬の雫
赤みが色濃く残ったとき
そこからパタリと開く
「ほう、これが入り口か」
ガシャコンっ
舞い昇る冷たい煙
落とされた頬の雫
赤みが黒く塗りつぶされたとき
これはこれはとパカンと閉まる
「へえ、これが出口か」
前は見える、後ろは見えない
始発と終点は入り口と出口で変わる
入り口が入り口かも知れぬ。出口が入り口かも知れぬ。
見るものにしかその意味は放たれない。
老いていく入り口の者
若いていく出口の者
おお、どちらが当たりか
おお、現世は外れか
以下余談のため、読みたい方のみ読み進めください。
セルフライナーノーツのようなものは、あまり好みではないのですが初回なので少し説明的に思いを書こうかと思います。ただ、基本作者がどう思っていようが読者が感じとった解釈がその作品をつくると思っていますので、どう思うかはズレていたところで構いません。
「当たり外れ」
当たりか外れか、どちらかに棒振れば当たりというわけでもなく何でも「適量がいい」なんてよく言われます。
「情動」と「老若」
(本作は情動、没作は老若について)
情動が多く敏感な方は当たりでしょうか、外れでしょうか
情動が少なく鈍感な方は当たりでしょうか、外れでしょうか
老人でいることは当たりでしょうか、外れでしょうか
若者でいることは当たりでしょうか、外れでしょうか
一つ一つの出来事に心を動かすがあまりに、敏感があまりに社会から姿を消そうと、心を閉ざし傷つく方がいます。特に若者はマイナスの処理が苦手なのでしょう。じゃあ、不感であればいいのでしょうか?極めて何に対しても感じないことは傷つきにくいのかもしれません。でも、人と人の関係において何かを得ることも少ないのです。
今現在過去未来となっている時相が、ひっくり返った時、二つの時相が世界に混在するとき、世界はどうなるのでしょう。「入り口側の人間」「出口側の人間」と性別のようにタイプ別が生まれるのでしょうか。
若いものは美しいですか、老いるものは醜いですか、
余談として受け流してください。本編は作品であるためあまりライナーノーツには触れないでください。