都会の人は田舎の人より冷たい?
2年前の夏、僕は高校の友人と2人で、地元の千葉県から岡山県までヒッチハイクで旅をしました。
今回はその時に感じた都会と田舎の違いを話。
この二つの違いを結論から言いますとそれは「僕たちを拾ってくれる車が現れる時間の長さ」です。
皆さんの想像通り、都会では全然捕まらず、逆に田舎では比較的早く車を捕まえることが出来た。
僕たちの場合は、例えば新宿のど真ん中でヒッチハイクをした時は、約3時間待ってやっと捕まえたし、八王子で待った時は確か合計で5.6時間してやっと乗せてくれる人に出会えた。
東京都を抜けるとどこも1時間行かないぐらい待てば誰か乗せてくれるという具合でした。(早い時は10分未満)
もちろん都会にも親切な人はいっぱいいるだろうし、都会という括りで一般化するべきではないと思っていますが、さすがに少し田舎との温度差を感じたのもまた事実。
そこで自分なりにその理由を考えてみました。
1.都会は母数が多いため、キチガイや危ない人もまた多くいる可能性があり怖くて乗せられない。
2.ただ単に乗せてあげることに興味がなかった。
3.都会には自分以外にも人がいるし、他の誰かが乗せていってあげるだろう。
他にもたくさん理由はあると思うけど、概ねこの二つの理由じゃないかな。
特にこの3の理由に関しては、あれだけの人数の人が僕たちを見ても「他の誰かがやるだろう。」と結局誰もやらずあの時僕たちが5.6時間経過したのは面白い。(まぁ確かにヒッチハイカーを乗せることはかなりハードルがかなり高い。笑)
他の誰かがやるだろう
都会に住んでいると「他の誰かがやるだろうから、自分はいいや」っていう習慣というか考え方が自然に身についていってしまうのかもしれない。
例えば、朝の通勤ラッシュの時に駅で誰かが転んで怪我をした時、何人の人が足を止め、その人を心配するだろうか。
あるいは道端で道に迷ってしまっている子供がいる時、何人の人がその子に声をかけるだろうか。
そして逆に、田舎の人達は「他に助けてあげる人はいない。だから自分が助けてみよう」って気持ちにひょっとしたらなっているのかもしれない。
こう考えると僕が「都会の人は冷たい」と感じたのは少し違っていて、「冷たい人間ではないんだけど、自分は動こうとしない」から結果的に、自分は田舎の人との温度差を感じてしまっていたのかもしれない。
でも世の中には「周りもやるかもしれないけど、自分も行動するんだ!」といって僕たちを快く迎えてくださった人達も沢山いた。
「誰かが動くからいいや。」ではなく「誰かが動くかもしれないけど、自分もやってみよう」という心構えというか姿勢を持った人間ってかっこいいよね。