英霊の言乃葉/充分覚悟は・・・

社頭掲示 令和5年6月度
「充分覚悟は出来て居ります」を読んで

昭和十九年七月十八日、マリアナ諸島にて戦死。

覚悟 ⇒ 面会の日は数ヶ月前とすると、昭和十九年の春には、旗色が悪いことを理解できる環境であったことがわかる。


当時の戦況

「十九日 東條総長は所在兵力をもってしては敵を撃滅することは不可能であるが、マリアナの要城は絶対国防圏として確保する要ある・・・」とある。  p597 第五章 マリアナ沖海戦 より

東条英機政権 内閣総理大臣/陸軍大臣(~1944年7月22日)、参謀総長(~1944年7月18日) 兼務

中日新聞 昭和19年7月13日
a5b98579c218a5f587494af3592fd2c6.pdf (chunichi.co.jp) 

マリアナ諸島を死守できないと、長距離爆撃機B29による本土空爆の射程距離内となることは認識されていたのか。

二十九歳という若さ。いろんな思いが交錯していたはず。
一枚の手紙にまとめられるはずがない。

思いを断って覚悟された英霊。

自分を省み、一日一日を無駄にしていないかと戒める。


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