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三月にリボンとバラを

【シロクマ文芸部: 三月に】
※小牧幸助様主催のお題に寄せて


三月に思い出すのは、
やはり卒業に纏わる場面が多い。

自分のものや、子供たちのもの
様々に去来するそれぞれの風景


その中でも、今じゃこんなに
世慣れしきったオバサン主婦の
少女時代に遡った記憶の切片を
少し綴ってみたいと思う。
(需要はないけど悪しからず)


その中学校は、
周辺の四小学校から生徒が集う
いわゆるマンモス校だった。

卒業式の朝、一年生はまず
手に手にバラの造花とリボンが
安全ピンにくっついた飾りを持ち
卒業生の教室へ向かう。

1年1組の子は3年1組担当という
分担に則り、出席番号順の対応で
女子の先輩には赤いバラ、
男子の先輩には白いバラを
安全ピンで左胸に留めると、

「ご卒業、
おめでとうございます」

と、祝いの言葉を述べて去る。
それが伝統行事であった。

そのくらいの行事など
難なくこなせると甘く見ていた
勝ち気な私の前に立った先輩は、
そんな私の無駄に高い自尊心を
ボッキリ折るような人だった。

辻先輩

その名も姿も知らぬ者は無い、
学校イチの不良生徒。
いわゆる当時の『番長』という
そんな少年である。

まず、体がデカい。
女子ではかなり高身長の私を
真上から見下ろすその顔には、
極細の短い眉、落ち込んだ目の
眼光は鋭く、骨張った顔には
日焼けと謎の傷痕・・・


怖い!怖さしか無い!!


意思に反して震え出す指で、
私は先輩の胸ポケットに
白いバラを留めようとした。

早く済ませて早く逃げたい!!💦

しかし、重たい飾りの付いた
小さな安全ピンは留めにくい。
しかも、先輩の制服はどうも
校則違反の改造仕様らしく、
何やら生地の内側に固い
プラスチック板ぽい物が
貼り付けられているようだ。

(何のために?ケンカの防具?)

刺さらないピンの針が、
グニャリと曲がった。

私は怖くて先輩の顔が見られず、
必死に安全ピンと格闘していた。

他の同級生は次々と、
役目を果たして教室を出て行く。
背後を通る友人たちから
(わー、気の毒~😣)
(頑張れ!) (死ぬなよ!)
などと、心の声が聞こえた。

何度も何度もしくじりながら、
一番最後に何とかカンとか
飾りを先輩の胸に取り付けた。

少しバラが下向いていたが、
修正などする余裕があろうか?!

「ごっ!ご卒業おめでとう
ござりますっ!!」

サムライかよ!噛むなよ私!

生きた心地も無く顔を上げると、
あんなに恐ろしい形相の先輩が

「うん、ありがとっ」

ニコッと微笑んだその笑顔は、
意外にもベビーフェイスなのだ。
(激レアだけど)

眉が無くてもそう恐くはなく、
何だ、普通の中3だ、と
心底安堵し肩の力が抜けた。


そして甦るのは、最後の体育祭。
男子競技の華、紅白騎馬戦や、
長い学ランに長いハチマキ、
白手袋での応援合戦では、
この先輩が主役であり、
勇壮で、とてもカッコ良かった!
そうだよ!何故忘れてた?
サイン欲しい♥️とか言ったクセに

先輩が、右手を出した。
私は迷い無く、その手を握った。

先輩は優しく握手をし、
「手、デカいな」
と、再び破顔した。


教室に戻ると、女子の友人が
心配して待っていた。
私が笑って「握手したよ」と
言うと、遠巻きの男子たちが
ザワっとどよめいた。


卒業証書を受け取る辻先輩は、
誰よりも大きくて、堂々として
立派であった。
情報通の友人が、先輩は高校を
受験せず、建設業か製造業に
進路を決めてるって、と告げた。


その春の終わり、
授業中に一台のバイクが
校庭に侵入してきた。

ノーヘルの男は、辻先輩だった。

彼は校庭を一周すると、
ガテン系の人がよく使う
大きなランチボックスを掲げて
大きく振った。


「コラーーーっ!!💢」

駆け寄る先生を振り切って、
彼はエンジンを吹かすと
風のように走り去った。


それきり、
『恐怖の大王』とアダ名された
先輩と会う機会は無かった。

この記事を書いていると、
遠い昔の彼の笑顔が
鮮やかに思い浮かぶ。


彼も今頃はきっと
立派な職人さんとなっていて、
父親になり、もしかしたら孫が
居ても自然な年齢である。

幸せだと良いな。

そう呟くと、ポッと心が暖かい。


辻先輩、覚えてないでしょうが
あなたはちょっとだけ、
私の憧れの先輩でした。


#シロクマ文芸部


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