
【予想外の弊害】コロナウイルスで再認識させられた、独身の哀しみ。
ここ数日、テレビもネットニュースも全て目にするのはコロナ関連のニュースばかり。
もちろんこれは全人類の健康に関わることなので非常に大事なことであり、アメリカを筆頭に海外では #stayathome (家にいよう)と盛んに叫ばれている。
さてその一方で呑気な日本は、のうのうと楽しく暮らせているが、このニュースを見て独身の人は次第にこんな事に気がついてしまったのではないだろうか。
「あれ?今私がコロナにかかったら、誰が面倒を見てくれるの?」
「あれ・・・私って独りなの??」と。
普段はどんなに楽しくシングルライフをエンジョイしていても、病気の時に急に誰かが恋しくなるように、この未曾有の事態の中で、突如私たちは突きつけられたのだ。
独身でいるという、現実を。
こんな経験はないだろうか。
30歳を過ぎても、緊急連絡先に親の名前を書く瞬間。
年齢欄に書く年齢を(全く悪気はなく)時が止まっている30歳くらいで書いてしまう瞬間。
そして何よりも、ちょっと喉が痛いとか熱が出てきても、誰にいえば良いのかわからない瞬間。
そんな時に、絶望的な気持ちになった事が。
このコロナウイルスという目に見えぬ敵と戦いながら、私たちは思わぬところで”寂しさ”や”焦り”戦う事になってしまった。
311の時にもそうだったが、今年はもしかしたら結婚が増えるかもしれない。皆どこかで不安を抱えている状況において、”誰かと一緒にいる”という、当たり前のようであって当たり前でない幸せを更に意識せざるをえなくなっているからだ。
人は皆、どこかで孤独を抱えているし、常に不安な生き物である。
けれどもその時に、信頼の置ける誰かが隣にいてくれる、というのはとても幸せな事。
シングル・ベル(*シングルでVery Happy)の皆様も、こんな時こそ、近くにいてくれる友人や家族、もしくはパートナーに、感謝の意を述べつつ、その存在の大きさを再認識してみてはどうだろうか。
しかしこの”人との距離を空けろ、ソーシャルディスタンスを保て”と叫ばれている時こそ、人肌が恋しくなってしまうのはなんとも皮肉な事である。