生贄探し 暴走する脳
とんでもないタイトルの本だという印象がありますが、最近ハマっている中野信子さんの本です。
中野信子さんって、ジャンルは何になるんだろう、脳科学者なのかな。
この本は共著でヤマザキマリさん、テルマエ・ロマエの作者さんと対談形式ですすんでいきます。
今回は日本人の狭苦しい生き方についての本です。
わ協調性という名のアリ地獄
ちょっと話はズレるかもしれないですが、クラスでよく「勉強していない合戦」が繰り広げられます。
今日のテストに向けて、全然勉強してなかったっていう、やってないマウンティングですね。
これはある意味、他人を牽制しているなと思う時があります。私も勉強してないんだから、あなたも勉強しなくていいんだよみたいな。
そうやって全体の平均点を下げることによって、自分を保とうとしてる行動があります。
高校生って本当に同じような立場(年齢、住んでいるところ、学力)の人達の集いだから、他人が突出することが自分へのコンプレックスにも繋がるんじゃないかなと思います。
それなら自分の良いところを伸ばせばいいんじゃないかなって思うんですけど、それをするには、エネルギーがなかったり、自尊心が足りなかったりします。
ここまでくると、今までの教育をどのように受けてきたかになるんですよね……きちんと自分は自分、他人は他人と理解できるような教育を受けている人は自立しているように思います。
匿名性と凶暴性
各学校では授業アンケートというものがあります。私はこれがとても嫌いです。なぜなら、匿名性だからです。
「匿名だから言いたいことが言える」と考える方もいらっしゃいますが1ミリも共感できません。匿名でしか言えないようなことは言うべきではないからです。
それは意見ではなく、単なる誹謗中傷です。私も今まで沢山の誹謗中傷を受けてとてつもなくやる気を無くしてきました。
結局ネット弁慶を学校で産んでどうすんだよっていう気持ちです。前の勤務校はアンケートの内容を変えることができたりしたので(質問項目等をまとめて報告書にする仕組みでした)記名制にしていたんですが…
褒めてくれる文章ももちろんあるので、やる気は出るのですが、それは記名性でも書いてくれるんですよね。匿名性でしか書けないような内容のアンケートってなんであるんでしょうね。
団体に書くならいいけど、教員個人に対して書くっていうと、誹謗中傷をされた場合に、上の人たちはどのような対応をしてくれるんでしょうか。私も自分より年次の若い先生達を守りたいです。
教員を守るっていうことをきちんと考えられる日本社会になってほしいなと思います。
無菌状態の子どもたち
社会に不条理なことがあってはいけないとは思うんですよね。それは不条理が是正されるべきです。
しかしながら、不条理が発生しない社会なんて存在しません。人と人が交流したら必ず不条理に直面します。
そういう時に何くそ!と生き残れる精神が、果たしてあるのかというと甚だ疑問が残ります。
こう考えると、私もクラス経営で「仲の悪くないクラス」を目標にしているのですが、生徒同士の揉め事等は発生した方がいいと思います。
影でグチグチ言うより全然マシです。言いたいことを言い合って喧嘩した方がいいと思います。
そして言われたことに対して、腹が立つ時もあれば時間が経てばそういう風に見るも考え方もあるのかと嚥下できるかもしれません。
ただし、感情むき出しに喧嘩するのは良くないと思います。理知的に考え、相手の意見を慮りつつも、自分の意見を通すということが大切なように思います。
それをするためには、相手の気持ちを考える想像力が必要だと思います。本書でも繰り返し出てきた言葉ですが、想像力に欠ける、現代社会だと思います。
なにかに対して理由を聞いても分からないと答える生徒はとても多く、もしかしたら言語化できてないだけかもしれないのですが、大抵の場合は何も考えていないんだなって思います。
自分がなぜそのような行動をしたのか、自分がどのように生きていきたいのか、常々想像力を求められる社会になっているように思います。
この想像力を鍛えるというのは、今後の私の教育の中でキーワードになっていくと思います。
本書のタイトルでもある、生贄探しっていうのは、自分というアイデンティティを確立することができず、他者を排斥することで自分の存在を認識できるものなのかもしれません。
なんだかいろんなものが想像力で片付けられるような気がしました。この現象についても同様ですね。
自己客体化するメタ認知や、自分自身の妬み嫉みを懐柔するマインドコーティングの力をどのように涵養できるかは大きな課題です。