歴史小説家の韓国取材の旅
前回、パリ滞在記が割合に好評だったので、去年の5月に家族旅行と取材を兼ねて、韓国に行った話を書くことにします。
韓国取材の目的は、11月に発売された拙作「富山売薬薩摩組」の中で、薩摩藩領に実在した朝鮮の焼き物の里を描くためでした。もともとは秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮半島から連れてこられた陶工たちの村でしたが、薩摩藩は幕末まで、彼らに故郷の風俗や習慣を守らせたのです。現在、鹿児島県内にある「沈壽官窯」は、その末裔です。
もちろん「沈壽官窯」にも取材に行ったのですが、なにせ昔の建物や村の様子がわかりません。韓流の時代劇を見ればいいかと思いきや、どれも宮廷ドラマばかり。貴族しかでてこないし、私は庶民の暮らしぶりが知りたかったのです。
ネットで調べているうちに、ソウル郊外に「韓国民俗村」という屋外ミュージアムがあると知り、思い切って、亭主と次女と3人で出かけることにしました。
到着初日、まずはソウル中心部にある国立民族博物館へ。展示物を見学しながら、トップの写真の通り、儒者みたいな等身大のお人形さんとツーショット。博物館は城跡の公園に隣接しており、昔ながらの建物も一部、残っていました。
その公園内をプラプラと歩いていたときのこと。次女が「あの鳥、何?」と聞くので、ひょいと見たら、黒い鳥が地面に降り立っているではありませんか。「もしや、あれは」と思った瞬間に飛び立ちました。羽ばたいた姿は、漆黒の翼の中に真っ白な羽が鮮やかに混じり、まぎれもなくカチガラスでした。
カチガラスはカササギのことですが、佐賀だけの名称です。やはり秀吉の朝鮮出兵の際に、連れてこられたと言われています。朝鮮語の名前が「カチ」で、それが武家には「勝ち」に通じて縁起が良いとされて、佐賀平野に放たれたとか。
幕末の佐賀藩主を描いた拙作に「かちがらす」という題名をつけたのは、かつて佐賀取材中に、この鳥が私の目の前を横切って飛び、羽ばたきの美しさに目を奪われたからでした。
そんな縁のある鳥に、ソウルで遭遇しようとは! 大喜びでシャカシャカ写真を取っていたところ、気づけば、あっちにもこっちにもいるではありませんか。まるで日本のドバト並みに。現地の人たちには、なーんも珍しくはないようで、変な親子3人が何を騒いで撮っているのかと、不審な目を向けられました。
翌日はオプショナルツアーに乗って、いよいよ韓国民俗村へ。
そこは敷地内に古い建物を何棟も移築公開しており、愛知県の明治村ほどではないものの、東京小金井の江戸東京たてもの園を少し広げたような印象でした。
陶工の素朴な家もあり、私は大満足。茅葺きの屋根をかけている土塀や、高麗人参の苗に日除けをかけているのも珍しく、いろいろ参考になりました。
敷地奥の森の中には、中国の宮廷か、日光東照宮の装飾にも似た舞台があり、欧米人らしき観光客がまったりしていました。
また入口近くには韓流ドラマの俳優さんみたいな若者がいて、一緒に写真を撮らせてくれました。本当は右奥のイケメンと撮りたかったのだけれど、おばさんたちの人だかりができていて諦めたところ、そっちがハケたらしく、気がつけば後ろに写っていて、残念無念。
帰国してから、いつも、お世話になっている佐賀の歴史通の方に「ソウルにカチガラスが、いっぱいいました」とメールで報告すると、「ソウルのカチがラスと、佐賀のカチガラスは会話ができるでしょうか」と、しゃれた返事が来ました。たしかに430年も前に連れてこられたから、さえずりも変わっちゃってるかな。カチガラスも佐賀弁だったりして。
「富山売薬薩摩組」の陶工の村のシーンは、編集者から「遠くまで取材に行った甲斐はありましたね」と褒めてもらえました。
ちなみに「富山売薬薩摩組」に関するインタビュー記事が、22日の朝日新聞付録「定年時代」東京版の1面と2面に掲載されます。