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【パチンコで借金300万⑧】27歳転勤 初めての一人暮らしで競馬と出会う

時は2015年1月

とにかくカネがない!パチンコも打ちたい!本当にゴミクズな日々が続き、借金も減らない、パチンコを辞めない、しょうもない人生が永遠に続くシナリオが選択されてます。

会社の後輩にパチンコ好きがいて、彼もまたGAROにハマっていたようだ。

先輩、自分GAROで負けすぎてもうお金借りないと生活できないっす。

ある日こう私に相談してきました。

この後輩には私がプロミス等から借金がある事を話し、結果その後輩も金融会社から借りようとしていました。

私はそれを引き止めました。一度金融会社からカネ借りたら感覚がバグる、自分のカネだと勘違いし浪費がエスカレートする、返済は容易ではない、金利も高い、借金する原因の根本を改善しないとダメだ!

何をマトモな事を。偉そうに。お前がそれ出来なかったのによ!

えぇ仰る通り。自分でもわかっているんですよ。

実は私、パチンコは負けに負けを重ねていたんですが、パチスロはそこまで負けてなかったんですよ。
パチスロだとある程度冷静に台を選び、遊戯ができていて、低設定を回すと負ける理屈や、試行回数が多ければその数値に近い数字になる事など、基本的な事はわかっていて行動していたのですが、5号機よりもパチンコの方が楽しくて、そしてパチンコって期待させて当たらない、全体的に期待を煽るんですよね。それが沼にハマるのです。

そしてその後輩は私の言う事も聞かず、借り入れの申し込みをし、それが某銀行のカードローンでした。

その時私は「その手があったかー!総量規制の対象ではない銀行のカードローンなら借りれるかも?」なんて思い便乗して某銀行へ私も申し込みしました。

それがすんなり通り、40万の枠で40万の融資を受けました。
もう気分はサイコーです!ウハウハです!GAROが打てる!

そして27歳の多重債務者である私に転機が訪れる事に。

それは転勤です。

地元から遠く離れた営業所に転勤。当たり前だが私が転勤を断る選択肢は用意されてない。転勤が確定している告知をされました。

当時の私は田舎者で未熟者だった為、地元を離れる事にかなり抵抗があり、慣れ親しんだ友人やパチ屋、行きつけの美容室などがなくなってしまうと思い、ひたすら転勤したくない!の一点張りでした。

思考は子供ですね。恥ずかしい。

しかし会社は私を説得します。
転勤しないと出世できない、他の地域や店を知らないヤツが偉くなれるワケがない、転勤の辞令が出るお前は期待されてる、期待してないヤツをお金かけて転勤させない、住めば都だ、などなど。

とりあえず転勤するしかないので、腹決めたが嫌々転勤する事に…

実際に、知らない街へ独りぼっちで放り込まれるのはキツかったです。
その地域柄や街並み、新たな人間関係、知らないお店、パチ屋、慣れれば新鮮でむしろ良かったりする事なのに、この頃は全て否定的で腐ってました。

もちろん良い事もあり、それは一人暮らしです!
私、ずっと実家暮らしだったんですよ。

この転勤を機に生活面での自立をする事となります。

借金をしこたま抱えたまま知らない世界へ一人放り込まれた私はパチンコに励み、さらにはこの地で競馬と出会う事になるのです。

2015年4月

新しい生活が嫌々スタートしました。
転勤した先は北海道の釧路市で、北海道の主要都市の一つともあり都会ではないがモノやお店が色々ありました。この頃すでに街は寂れていて人口もどんどん減少していました。

元々競馬は知っていたが馬券を買った事はなく、ルール等も知らない私はとりあえずウインズという場外馬券場へ行きました。

そこでは大量のモニターと発券機、有人窓口、喫煙所、椅子が沢山、オジサン達の声があり、田舎者の私には新鮮な世界でした。

少し馬券を買ってみたりし、帰宅後から競馬について調べました。
何やら今度は皐月賞という大会があるのか。よしよしひとまず勉強するか!!ゴールドシップって聞いたことある馬だな、月末にあるレースに出るのか~

そんな感じで完全素人が競馬にハマっていき、土日休みの時はウインズに入り浸る日々が3年間続きます。

満を持して初めて買った馬券は2015年のNHKマイルC アルビアーノの単勝で他に馬連を数点、しかし的中せず1万円が約2分で溶けました。

そんな感じでパチンコでも順調にカネを溶かし続け、一人暮らしをして、競馬もやるようになり、カネが足りない日々に競馬という借金の加速装置をつけました。

ついに禁断の手、クレジットカードショッピング枠の現金化をしてしまうのです。

つづく


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