20241226
20241226
去年の夏休み明けから小学校に行けなくなった息子を見るために、2024年3月に年収の高かった大企業を辞めた。業務量自体は多く非常にプレッシャーのかかる職場であった。有休消化期間を春休みと被らせることによって勉強や遊びも一緒にたくさんできた。
思えばここまで毎日のように息子と関わったことはなかったんじゃないかと思う。
次の会社は年収が300万円も下がったが、息子との時間も取れるかと思い入社した。38歳で異業種への転職、もちろん稀有な目で見られたし、見られ続けた。大手の会社を辞めて何故うちに?などと同年代の管理職連中には疎まれていたと思う。それでも気にすることなくただただ謙虚に真摯に仕事をしていた。給料下がっても楽な会社はいいなとも思った。
フレックス制度があったので利用し息子の通級やカウンセリングなど連れて行けたのはよかった。
ただ入社時に提示された月収賞与年収と相違があった。もちろん初年度の夏のボーナスは前年下期がベースになるため(今まではそのような会社で勤めていた)寸志程度なのは理解していた。
2024冬のボーナスが提示されていた金額よりも大分と少なかった。これはなんでだと思い、入社時に給与の交渉をした人事部長と面談させてもらった。この年収を払うからうちに来て下さいと言われて、大幅ダウンを理解した上で子どものためだと思い入社した。
説明も納得できる回答を得ることができなかった。冬の賞与は満額支給です、ただ周りのプロパー社員の賞与とのバランスを考えてこの金額にしました。と言われた。それなら入社前に提示された金額はなんだったのか?と問うも当の本人はそれを忘れていた。恐らく部長職のため人事権を一任されていたのだろう。
それでは生活ができませんと辞職を申し出た。所属課の上長からの引き止めはあったが、初っ端から嘘をつかれて入社したのは許しがたいと固辞した。
幸いにも以前働いていた業界で再就職は決まった。そこも大手なので、年収は以前の仕事を考慮してくれることになった。
ただ、業界自体は激しい働き方がいまだに当たり前なので、温い会社で数ヶ月働いたところから、また死ぬ気で積み上げていく仕事に年明けから戻るのかとドキドキしている。
息子は少しづつだが学校に復帰できるようになった。11月は2/3の登校日に遅れながらも登校できたし、12月はお昼から登校も多くあったが、毎日登校できた。勉強面では追いついていない点が多々あるため不安はあるが、この秋から大きな前進をしたこと、できたことを誇りに思う。
冬休みは一緒に勉強して、一緒に遊びたいと思う。ただ父親と遊ぶよりも、学校に行くことによってたくさんできた友達と遊ぶことを優先してほしいと思うと少し寂しい。
残り少ない有休消化のために年明け早々会社に数日出たら退社する。
父親としては息子の自立自走をフォローして、あとは家族のために死ぬ気でまた働き続けるということを目標に来年はしていきたい。
来年は40歳、ほどほどな30代を過ごしてきたが、40代としてしっかりしないとなという気持ち。別居は解消はしないけども、家族にしっかり還元していかないとな。